蜜ロウソクとの出会い


 「ざいご、山、大雪の朝日町」。県内で一番都市部にあたる山形市の高校へ下宿して通っていた頃の、私に対する一部級友のからかい文句である。級友だけでなく、身近な大人達も、テレビや雑誌も、そして私も、遅れている田舎を確かに馬鹿にしていた。
 卒業間際に父が体調を崩したこともあり、家に戻り家業の養蜂を手伝うようになったが、やはり気持ちはいつも都会を向いていた。派手なロックバンドを成功させて、それを理由に両親を納得させ、東京に脱出する作戦を立てた。なまりも矯正した。
 便利さ、新しさ、楽しさ、自由さ。幸せの価値観は全て、より都会的な所にあった高度経済成長時代。私は田舎や自然が大嫌いだった。
 ロックバンドでの浅はかな田舎脱出計画はもちろん失敗した。悶々としていた。
 まもなく、山の集落に住んでいた祖父が亡くなった。家までもが道路拡張に掛かり取り壊されてしまった。
 翌春。親しい先輩に渓流釣りの案内を頼まれ、かつての遊び場だった朝日川を案内した。いつのまにか先行の先輩と離れてしまい、山と山にはさまれた川原に私は一人になった。すると、木々のざわめきがザワザワと大きく聞こえ、川の流れる音もザーッと迫ってきた。妙な怖さを感じて、いても立ってもいられなくなった。
 昼食をとりに、さらに奥にある山小屋『朝日鉱泉ナチュラリストの家』を初めて訪ねて驚いた。あか抜けた建物と都会ナンバーのたくさんの車、都会の言葉を話すたくさんのお客さん。思いがけない都会が朝日町の一番山奥にあった。窓からは、どっしりとした大朝日岳がじーっと私を見ていた。コーヒーが美味しかった。食堂の隅では、主人が無愛想に本を読んでいた。
 翌朝、川原での妙な気持ちが気になり、一人で行ってみた。「今頃、何しに来た」と、叱られているような気持ちになった。
 我慢して川原の玉石に座っていると、子供の頃の朝日川での遊びを、次から次へと思い出した。小さな流れを石で塞き止め魚をつかみ取りしたこと。水中メガネで潜って見た魚達の世界のこと。ヤスを使ってヤマメやカジカを捕って流木であぶって食べたこと。そして渓流釣りを教えてくれた祖父のこと。いつのまにか川原は、あったかくて優しい居心地のいい場所に変わっていた。
 自分の中の価値観が、ぐらぐらとひっくり返って行くのが分かった。都会の幻想を追いかけていた自分が愚かしく思え、自分の気持ちに正直になることの心地よさに初めて気づいた。肩がふっと軽くなった。
 「今頃、何しにきた」何がそう感じさせたのか。山、川、木々、生き物たち、精霊、山住みだった祖父や先祖の霊、大朝日岳。厳しいけれどあったかい、まるで子供時代に遅く帰って母親に叱られたようなあの気持ちは、自然という鏡に映し出されてしまう本当の自分の心との葛藤だったのだと、随分あとになって気付いた。とても不思議な体験だった。
 それから私は、人が変わった。打って変わって「山だ、自然だ」と騒ぎ始めたので、家族は、祖父の霊に取り憑かれたのではと真面目に心配していた。だが、山には私が騒ぎ立てるほどの魅力が本当にたくさんあったのだ。川に潜り、釣りをし、山菜やきのこを採った。流木で焼いたヤマメの芳しさ。舞茸の芳しさ。山栗ごはんの芳しさ。
 ある時のこと。手当たり次第に採ってきたきのこを、かつて祖父がそうして仕分けていたように、新聞紙を広げて並べてみた。すると、ニコニコ見ていた祖母が一言。「なえだ竜くん。毒茸ばっかりだな」と。がっかりしたが、ほんの少し混じっていた沢もだしを、勧められるまま一人分のみそ汁にしてもらい食べてみた。とても美味しかった。初めて祖母が輝いて見えた。そして祖父という大きな財産を無くしたことが悔やまれた。祖父が何故最後まで山暮らしに固執していたのかもやっと理解できた。それからは、山のことは山で生きてきた祖母や両親が先生になった。
 やがて、今まで見えなかった美しい自然がどんどん見えるようになった。特に朝夕の水平の日差しは、いろんなものを芸術作品にしてくれた。新緑、紅葉、朝露に輝く植物、山の谷間を漂う赤とんぼの群れ、川面を飛び立つ蜻蛉の羽化、初冬の雪虫の舞い。そして恨みの雪までも。目からうろこが落ちたと思った。 
 そして、森に蜂を飛ばし樹木の花の蜜を集める家業の養蜂や、それを営むことのできる特異な森の豊かさにも、はじめて誇らしく思うことができた。
 同時に、当時国が進めていた拡大造林事業による広葉樹の減少により、ハチミツの収穫が低迷しはじめた養蜂の背景も見えてきた。ちょうど発足した「朝日町の自然を守る会」に迷わず入会した。そこには、あの無愛想だった山小屋の主人がニコニコと座っていた。
 同じ頃、同級生だった妻とも出会えた。都会的な女性に憧れたままだったらとても繋がれなかった縁だったろう。
 そしてその秋、私は大きな出会いを迎えた。軒下に野積みしていた蜜蝋のかたまりにつまずいてしまったのだ。夕暮れ時、薄暗くなった部屋で、初めて作った蜜ロウソクは厳かに静かに灯った。あったかくて、優しくて、不思議で、ちょっとせつない、あの時の川原と同じ気持ちになった。感動で心臓がドキドキした。

(2013年10月 グリーンパワー12月号(森林文化協会)連載「ハチ蜜の森のともしび」より 最終回

 

上より、
朝日川の川遊びは 夏の体験教室の定番メニュー
朝日鉱泉から見える大朝日岳
私の禊ぎする渕、羊水に抱かれる気持ち
そばには大きなトチノキが見守り
空を見上げると水の底にいるよう
母なるハチ蜜の森に抱かれる

よろしければ、
1月号に書いた「蜜ロウソクの魅力
2月号の「蜜ロウソクの誕生」まで
続けて読んでいただけましたら幸いです。

 

グリーンパワーの連載作文12回分を読んでいただきありがとうございました。
これからも、心が動いた時に書き続けます。



ハチ蜜の森キャンドル