育てるハチ蜜の森


 無事にたどりつけることを祈願し、登り口になっている廃村の観音堂跡を出発した。だが、懐かしい風景に安堵したのは束の間、まもなく道は薮の中に消えていた。
 そこは、祖父や父が養蜂組合の仲間達と昭和45年に、初めてトチノキ10本、ニセアカシヤ100本を植えた森だ。父に教えられ、12年前に一度だけ訪ねたことがあった。
 実は、「日本の里山」(NHK BS)という番組から取材依頼があり、撮影してもらいたかったのと、あの風景をまた確かめたくて下見に訪ねてみたのだ。
 立ちふさがる薮を前に、少し下っては登り直すことを何度も繰り返してみたが、まったく道は見あたらなかった。12年の月日は、森を別の風景にしてしまっていた。猛烈に連打する心臓の鼓動に負け、ついにあきらめてしまった。
 当時は、国が進める拡大造林事業により、多くの広葉樹の森が伐り倒されていた。特に、在来樹木の代表格な蜜源樹「トチノキ」は、林道が作られる川や沢沿いの湿気った場所を好んで自生しているため、確実に姿を消していった。子供の私にとっては、鳥や虫の声とともに、山の中に響き渡るチェーンソーの音も、あたりまえな山の音だった。養蜂を手伝い始めた若い頃には、養蜂場そばの細い山道が拡幅され、たくさんの樹木が倒されたのを間近に見て、その痛々しさに初めて気づいた。
 蜜源増殖事業は、山形県養蜂協会全体の取り組みとして始められたもので、会費とともに、飼育するミツバチ一群につき110円の蜜源増殖費を徴収し、苗や肥料代などに充ててきた。近頃になり、全国で蜜源を育てる取り組みがなされ始めたが、40年以上も前から続けているのは山形県だけだ。県内には、おそらく1万本近くの蜜源樹が植えられただろう。私が事務局長を務める西村山支部でも、今年も50本を植える計画をしている。
 それならハチミツの収穫も相当多くなったと思われるが、実際はぼちぼちといった感じだ。トチノキは花が咲くのに15〜20年。花が咲いても若い木は数えられる程の花しか付けないから、ミツバチもあまり寄り付かないのだ。50年以上も経てば数えきれない程の花をつけ、ミツバチたちも盛んに訪花するようになる。なにしろ「トチノキの大木は一日一斗の蜜を出す」といわれている。これからは、いよいよ年を重ねるごとに収穫量が増えることが期待される。
 ただ、人工的に植えるということは、うまくいかない事も事実である。デリケートな樹だから、土質が合わなかったり、豪雪で倒されたり、虫が入り込んだりして枯れるものも多い。なかなか幹を太らせられないものもある。それに植栽は、植えるだけではなく、添え木や下刈りも併行して行わなければならない。想像以上に手間がかかるものなのだ。無事に育っているのは、
おそらく三分の一とか四分の一だろう。恩恵を実感できるようになるには、まだしばらくはかかる見込みである。
 実をいうと、今回訪ねた森は、そんな「失敗の森」なのだ。以前に訪ねた時は、トチノキもニセアカシヤも数本ずつしか見つけられなかった。特に外来種のニセアカシヤにとって、高い山の尾根近くという過酷な環境には耐えられなかったのだろう。それ以来西村山支部では、ニセアカシヤの植栽は辞めている。生き残っていたトチノキも、30年近く経つのに幹は細く、樹高も低く、付けていた花も数個だった。「10年も下刈りしたけれどくたびれ儲けだった」と、父は亡くなるまで残念がっていた。
 たしかに、その場所は苗木をかついで小一時間も登らなければならないのだ。以前に、何も持たないのにヒーヒー言いながら登った私には、先輩方の苦労を思うと、失敗すらも愛おしく思えた。

 祖父も父も亡くなり「もう二度と行けなくなってしまうのでは」と、不安と責任を感じながら、とぼとぼ山道を下りていると、観音堂跡の近くで山菜を採っている方を見つけた。年輩の元住民の方だった。
「杉林の端を右へ回り込むように行ってみろ」。まさに観音様のお導きに思った。杖がわりに拾った木の枝も、妙に手のひらになじみ、行けることを確信し元気が出てきた。
 言われるままに、薮の中に思い切って潜り込み、杉林の端を添うように斜面を上がると、ついに道は見つかった。その後も数カ所で迷ったが、ついに植林した森の入口までたどりつくことができた。
 一週間後、重たい機材を背負った取材陣を連れ、いよいよその森に入ってみた。
 小さな沢沿いに残っている数本のトチノキは、やはり他の雑木に負けてどれも背が低く、ニセアカシヤも数本しか見当たらなかった。12年も経つのに風景は全く同じに思えた。
 ただ、流れの上流に、たくさんの花をつけたトチノキを見つけた。根本をよく見ると、太い幹は横倒しになって土に埋もれている。豪雪で倒されたまま、成長したのだろう。それでもたくましく育っている姿は感動的だった。
 撮影後、その木の高い枝に引っかかっていた大きな枯れ枝を、みんなで苦労して取り払った。微力ながら当時の植林活動に協力したように思えて嬉しかった。
 失敗のハチ蜜の森とはいえ、私にとっては先輩養蜂家達の志に触れられる神聖な森である。これからも道をなくさないように、時折訪ねてみようと思っている。

(2013年10月 グリーンパワー11月号(森林文化協会)連載「ハチ蜜の森のともしび」より)



観音堂跡の鳥居(神仏習合)



トチノキの植栽風景



花が咲いていた父や祖父たちが植えたトチノキ




日の光に透かされて美しいトチノキの葉

さくら養蜂園


ハチ蜜の森キャンドル