ミツバチ育む南房総


 久しぶりに大きなイワシが食卓に載り、南房総の思い出がよみがえった。私は、この大きめのいわしが大好物だ。
 まだ父のもと養蜂を学んでいた20歳頃のこと。父が体調を壊して入院していたから、ミツバチの越冬の仕事は、私一人であたっていた。幼い頃から何度も滞在した地とはいえ、遠く離れた南房総で、収穫期前の大切なミツバチの育成を一人でするのは心細く大ごとだった。
 ある日のこと、砂糖水を与える給餌作業をしていると、年輩の男性が遠くから眺めていることに気づいた。仕事を終えて片付けをしていると、そばに寄って来て、仕事のことや出身地のことなどを質問してきた。そして、もっと話を聞きたいからと、近くの家に招いて下さった。
 まだ慣れていない熱燗でもてなされながら、さらに根堀り葉堀り質問された。どんな方だったか思い出せなくなってしまったが、にこにこしながら「偉いね。偉いね」と、何度も言ってもらった記憶が残っている。
 実はその時に「何もないけどイワシがある」と、大きな一匹を焼いて出して下さったのだ。それは、脂がのってとてもおいしいものだった。それ以来私は、焼いたイワシが大好きになり、食べる度にあの年輩の方を思い出すようになったのである。

 女王蜂は、花の少なくなる秋になると、少しずつ産卵数を減らし家族を減らす。養蜂家は「冬はまだ」と思わせるために、奥山からいくらでも暖かさと花の残る里山に下ろし、砂糖水を給餌して蜂数を減らさないように努める。
 小規模養蜂家の山形での越冬は、巣箱を藁やスチロールで囲い、そのまま雪の中にかまくら状態にして埋めておく。ミツバチ達は、おしくら饅頭のように硬く固まり、ハチミツを少しずつ食べて体温を維持する。そして数ヶ月後、春一番の産卵で生まれた妹達を世話した後に寿命を全うする。本来、働けばたった一ヶ月程の命を、大切な役割を担ってじっと春を待つのだ。
 東北地方の大規模な専業養蜂家は、概ね初冬に温暖な南房総に移動して越冬している。翌春の果樹園の花粉交配や奥山での採蜜に、より蜂数の多い満群の蜂であたるためだ。私の実家も40年以上も前から、南房総市の千倉町や丸山町、白浜町などにお世話になっている。
 移動後は、すぐに餌の砂糖水を与える。すると産卵をやめた女王蜂が、春が来たと思い込み、再び産卵を始めるのだ。それなら山形でも砂糖水をふんだんに与えておけば産卵をやめないだろうと思われるが、産卵の契機を判断する大切な理由がもう一つある。それは、幼虫がタンパク源として食べる花粉である。
 南房総は、冬とはいえ菜の花や切り花、ハーブなど花が途切れることはない。まだ気温が低いので、すぐには群れの蜂数を増やすには至れないが、少しずつ度々給餌することにより産卵を止めないで維持することができる。そして、待望の梅が咲けば気温も上がり始め、花も増え、産卵数も増え、蜂数がぐんぐん増えてくる。
 そして桜が散る頃、サクランボやリンゴの花粉交配や、朝日連峰山麓での採蜜をするために山形に帰る。こんなふうに、秋までは山形の自然が、冬は南房総の自然が、大切な翌春の収穫期までのミツバチを育んでいるのである。

 ちなみに蜂の移動は夜に限る。蜂が全て巣箱に戻る夕方に巣門を閉めてトラックに積み込み、夜明けまで目的地に設置し巣門を開ける。外に働きに行きたいのに行けない状態になると、蜂達はパニックを起こし、体温を上昇させ、その熱が蜜蝋の巣を柔らかくし、こぼれ出すハチミツにまみれて死ぬ「蒸殺」が起こってしまうからだ。実は、私は同じ年に、このことで苦い経験をしている。
 当時は、市川市のナシ畑に移動し、十日程花粉交配の仕事をしてから山形に帰っていたのだが、私はそのナシ畑への移動日を間違ってトラックに積み込んでしまったのだ。重労働な積み込みを終え、出発前にナシの組合長に電話すると、農家の皆さんが集まる引き渡し日は三日後の早朝だと告げられた。
 とても深刻な事態になってしまった。なぜなら、もうトラックから下ろせないのだ。蜂の移動は3km以上が原則。それ以内だと記憶が残り、外に出た働き蜂達は前日の場所に戻ってしまう。適当に置いてしまえば、殺し合いの戦いが全ての群れで起こる。数ヵ所の蜂場から積み込んだ同じ規格の巣箱を、違わず同じ場所に置くことは不可能。
 だが、翌朝までになんとかしないと今度は蒸殺してしまう。そうなれば、せっかく増やした蜂達を失い、花粉交配はもとより、その後の採蜜にまで相当な影響が出てしまう。
 どうしようもなくなり、すぐに病院の父に連絡して判断を仰いだ。父は南房総で最もお世話になっている年輩の養蜂家島津為吉さんに頼った。若い父を南房総の地へ招き、ミツバチの飼い方を教えてくれた人でもある。島津さんは、蜂が戻らない3km以上離れた場所の地主にすぐに交渉して許可を取り付けて下さった。さらに、深夜にまで及んだ蜂を下ろす作業まで黙々と手伝って下さった。おかげでことなきを得ることができたのである。
 両親以外の方に、あんなにお世話になったのは生まれて始めてのことだった。本心から抱いた感謝の念も、おそらくあの時が初めてだっただろう。
 南房総はミツバチ達を育み、私までも育ててくれた大切なもう一つのふるさとである。イワシを食べる度に胸がキュンとする。

(2013年2月 グリーンパワー4月号(森林文化協会)連載「ハチ蜜の森のともしび」より)

南房総で越冬するミツバチ




ハチ蜜の森キャンドル