蜜ロウソクの誕生

 ついにハチ蜜の森は雪で覆われ、実家のミツバチ達は、越冬のために南房総へ引っ越した。工房のすぐそばにある森に入るゲートも、安全のために閉じられ、町がクリスマスムードに華やぐのとは裏腹に、ここはめったに車も通らない静かな季節となった。
 森へ入れないのは残念だが、誰よりも森の近くにいて、母なる森を一人占めしているようで気分は悪くない。子供の頃、兄や弟がいない時に母親を一人占めした気持ちとよく似ている。
 そして、私の蜜ロウソク製造は、クリスマスを前に最も忙しい季節を迎えている。花粉がもたらした美しい色があせるのを嫌って、人気の品以外は作り置きしないから、毎年この季節は、朝から夜遅くまでひたすらロウソクを作ることになるのだ。我ながら尋常ではない忙しさだ。
 しかし、この季節の忙しさを、なぜか一度も辛いとは思ったことがない。誰も来ない森の入口の静かな夜に、いろんなことを考えながら、黙々と手先を動かしているのは自分と向き合える楽しみな時間でもある。
 なにより、私自身も自然と同化しているような不思議な気持ちになれるのだ。ミツバチが、花から蜜をいただく代わりに花粉交配をするように、私はミツバチと森から託された蜜蝋で、収入を得る代わりに、森の魅力を伝える普及員をさせられているのではないかと。そんなことを妄想していると、夜の残業は、あっという間に深夜となってしまうのである。

〔蜜ロウソクの歴史〕
 交流のある(財)日本のあかり博物館(長野県小布施町)の博物館ノートによると、そもそもロウソクの始まりは、紀元前に使用されていた蜜ロウソクとされている。たしかに材料のミツバチの巣は、火にくべると勢いよく燃えるし、芯となる繊維質のものを挟めば、簡単にロウソクになってしまう。古代人は、案外容易に手にすることができたのではないだろうか。
 しかし、日本での始まりは奈良時代とされている。仏教が中国から持ち込んで使っていた蜜ロウソクとされているが、平安時代後期に遣唐使が廃止され輸入が止まると、近代に至るまで蜜ロウソクの使用は文献には見られないのだそうだ。江戸時代には、ハゼやウルシの実を材料とする「木ロウソク」の製造が盛んに行われた。
 なぜ蜜ロウソクは産業になれなかったのか。それは、ニホンミツバチの性格に大きな要因がある。現代の養蜂家が飼育するのは、明治時代に輸入された畜産種のセイヨウミツバチなのだが、彼らはどんなことがあってもそこに留まりたい性格なのに対し、野生種のニホンミツバチは、なにか嫌なことがあったらいつでも引っ越そうとする性格なのだ。逃げられて元々の養蜂では、たくさんの蜂を飼うことは不可能だった。さらに、群れも小さいから、蜜蝋になるミツバチの巣は、わずかしか収穫できなかったのである。
 そして、セイヨウミツバチが輸入された明治期。今度は、蜜蝋があるのに蜜ロウソクは作られなかった。それは、同時期に安価で加工しやすい現在の主流である「パラフィンろう(石油系)」が輸入されるようになったからである。私自身が驚いてしまったのだが、小さいながらも生業としての蜜ロウソク製造は、日本の歴史上私がはじまりとなるらしい。

〔蜜ロウソクの誕生のいきさつ〕
 私がはじめて蜜ロウソクを作ったのは、父のもと養蜂を学んでいた1988年。いたずらで作ったものに、夕暮れ時に点火したのだが、初めて見たあの蜜蝋の灯火は忘れられない。静かにやさしく灯る美しさと、本当にロウソクになった驚きに心は大きくときめいた。
 時代は高度経済成長のピーク。まだテーブルキャンドルを使う概念のない日本で、これを生業にしようと決意したきっかけは幾つも重なるが、なにより地元の諸先輩方と取り組んでいた自然保護活動にあった。 
 当時は、国を挙げて自然を開発する時代だったといえる。ここ朝日連峰大朝日岳の麓でも、様々な問題が起こっていた。国が押し進めた拡大造林事業による広葉樹の伐採。伴い進められた大規模林道の開発。私自身、養蜂場そばの細い山道が拡幅され、たくさんの樹木が倒されるのを見たことがある。伐採すれば起こる土砂災害を防ぐための砂防ダムも盛んに造られた。
 里山には、豪雪地にも関わらず200haもの山林を崩すゴルフ場建設が3ヵ所にも計画され、さらに都会のゴミを受け入れる産業廃棄物処理場の建設計画まであった。幸いなことに、これらは直後のバブル崩壊により計画で終わった。しかし、行政やゼネコンと対立する中、自然に目が向かない世論に、若い私は大きなジレンマを感じていた。
 その頃、山小屋を経営する西澤信雄氏が、地元の子供に地元の自然を体験させる活動を仲間と進めていた。今でこそあたり前に思える活動だが、自然豊かな町の子供たちに自然を体験させる概念は、当時はかなり先駆的だったといえる。私もミツバチ観察や蜜ロウソク作りの指導をさせていただいたのだが、子供と触れ合っているうちに、反対するだけではない伝える方法の自然保護もあることに気づくことができたのである。
 そして、作り始めていた蜜ロウソクの優しい灯りの魅力と、ミツバチの巣がロウソクになる驚きの力が、きっと人と森の距離を縮める。そう思い込み、実験を繰り返し、販売できる質の高い蜜ロウソクの製造とともに、養蜂や蜜蝋をベースにした体験教室に着手したのである。
 思い込みの激しさから生じたとも言えるこの蜜ロウソク製造は、その後多くの方に支えていただき現在に至っている。振り返れば振り返るほど、止めどなく感謝の念が湧いてくる。

(2012年12月 グリーンパワー2月号(森林文化協会)連載「ハチ蜜の森のともしび」より)



撮影/ 松田絵美子さん

 



ハチ蜜の森キャンドル