| ラオスの森キャンドル
JICA(国際協力機構)の一村一品運動の技術支援アドバイザーとしてラオスに行ってきました。実は、1年以上も前からラオスの国内外の観光客に売れる蜜ロウソクを作るための指導という依頼を受けていたものの、なかなか気持ちが動かなくていたのです。
渋りに渋った6月、担当職員の本村公一氏(IC-NET所属)から、ハチミツも蜜蝋も収穫量が減っている現実をメールで知らされました。異常気象と、大規模なゴムのプランテーション(植栽)による森の減少が原因らしいとのこと。そして最後に「蜜ロウソクの質を上げて需要を増やすことが森を守る機運になるのではないでしょうか?職人達も心待ちにしています」と。本村氏は学生の頃からラオスと関わりラオスを愛している人なのです。ハチ蜜の森キャンドルのコンセプトと重なり、心がぐらぐら揺らぎ始めました。
23年前、「蜜ロウソクの美しい灯火で人と森の距離を縮めたい」そう願って本格的に取り組み始めたのが私の「ハチ蜜の森キャンドル」です。その頃の日本は、拡大造林事業と称した大規模森林伐採、伴う大規模林道工事事業、伐採によりに引き起こされた土砂災害を防ぐ砂防ダム工事事業、さらにはリゾート法に守られたゴルフ場開発、都会のゴミが押し寄せる産業廃棄物処理場計画…。国を挙げて自然を破壊する取り組みが成され、小さな私の町にも全て牙をむいていた時代でした。「反対しているだけでは解決にならない、森の魅力を伝えたい」と思ったのです。
いただいたラオスの蜜ロウソクは、正直なところ粗末な作りで、煤も出て、美しい炎ではありませんでした。ラオスではロウソクは寺院のお供えにするものだそうで、普段家庭で灯すことはないとのこと。充分役割は果たせているのでしょう。また、養蜂はわずかでハチミツも蜜蝋も大半は野生のミツバチのものだそうです。試作してみると、私の蜜ロウソクと同じように美しい炎にすることができました。独特な香りもあり、とても魅力的なテーブルキャンドルになりました。
「吟味して作った蜜ロウソクを豊かなラオスの森の象徴「ラオスの森キャンドル」とブランド化し、国内外の多くの人に知らしめることが、ラオスの森の価値を見直す一片となるかも知れない」熱い思いが、私の胸にも込み上げてきました。空いていた一週間を見つけ、残業して注文をこなし、取る物も取らず飛行機に乗り込みました。
日本と大差ない風景の首都ビエンチャンを抜けると、どんどん昔へタイムスリップする様に田舎の風景が広がっていきました。人の生活域と境いのないハイウェイには、牛や山羊など家畜の群れが度々道を塞ぎました。バイクの二人乗りや犬の放し飼い、車が通り過ぎたあとの砂煙などは子供の頃の風景のようでした。
はじめに訪ねたサバナケットで、現地の蜜ロウソク作りを拝見しました。つり下げられた糸に温めた蜜蝋の固まりを付け、手のひらをすりあわせながら巧みに細く伸ばしつけていました。まるで機械のようにどんどんスティック状のロウソクが出来上がりました。私のたった20年ちょっとの歴史に対して、ラオスでは昔から伝統として蜜ロウソクがこうして作られ、寺院に納められていたのです。「粗末な作り」と思っていた気持ちはすぐに改心させられ尊敬の念に変わりました。
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早速、インスタントにこしらえていった小さな道具を使って、灯して楽しむためのテーブルキャンドルの作り方を紹介しました。しかし、炭が熱源だったり、高い気温に邪魔されたりして、情けないことに教える側が教えられるようでした。そこにラオスの職人たちのプライドも感じました。
次に訪れたサラワン地区では、反省も踏まえできるだけ現地のロウソク作りを尊重することに努め、なんとかうまく伝えることができたようです。みんな楽しそうに作ってくれました。しかし、日本にはあたりまえにある道具がないラオスでは、吟味されたものを作れるようになるには相当に入れ込まないと難しいことを感じました。
市場に行くと、蜜ロウソクが他のお参り用品と共に束になって並べられてありました。蜜蝋は神聖な灯火なのです。
野生のミツバチは、コンクリート製の大きくて高い水道タンクの下に三群れ営巣しているのを見つけました。今回は直接蜜蝋を収穫する生産者とは会えなかったので、好んでそこにいるのか、住処を追われてそこにきたのかの判断はつきませんでした。
サラワンでは青年海外協力隊の佐々木若葉さんにも手伝っていただきました。普段担当している藤つる細工の村では、藤つるを採る森がなくなってしまい、藤の植栽を始めたことを聞きました。交流会では、蚊が媒介するデング熱で一ヶ月入院していたという隊員もいて、それでも活動を続ける熱い思いに敬服しました。
帰りの車中、道路際にゴムのプランテーションがどこまでも広がる風景を見ました。植栽に備えて痛々しく伐採している所もあり、日本の山がどんどん切られ杉山に変わっていったことと、とても似ていると思いました。
あとから少しずつ分かってきたことですが、ラオスは長年貧困国として位置づけられていましたが、実際には、水稲や、長いスパンで場所を替える焼き畑、そして森からの豊富な収穫物により、生活そのものは豊かな国だったのだそうです。しかし、日本企業の紙のための伐採に続き、現在は中国やベトナム資本のゴムのプランテーションがもの凄い勢いで広がっているのです。国は国民に自由に使わせていた森をどんどんプランテーションに売買しました。その結果、首都ビエンチャンなどの大きな町は急激な経済発展により都市化が進みました。しかし、農山村部では、森からの収穫も減り、成り立たない狭い土地での焼き畑の収穫も減ってしまいました。人々の貧困化は本当に進み、わずかな畑もさらにプランテーションに現金と交換してしまう人もいるとのこと。こうして極端な格差社会となってしまったのです。
少しかじった程度では本当の姿は見えていないのかもしれませんが、ラオス国家はそんな農山村部の経済力を高めるために、着目していた日本の「一村一品運動」を実施すべく、本家の日本へ協力を求めてきたという背景があるようです。
日本に戻り、悶々としていました。吟味されないB級のロウソクで果たして魅力を伝えられるか?売れるか?吟味した蜜ロウソクを作れるようになっても、野生のミツバチをさらに消費消耗させることにならないか?良質な蜜蝋に気づいた大手資本が介入してこないか?なにより、蜜蝋を枯渇させて寺院のお供えにする伝統を害することにならないか?もともとおこがましい取り組みだったのではないか…。
現地の本村氏と製造指導メールのやり取りをしながら真剣に考えました。現在もその答えは見いだせてはいませんが、変わらずにいられない時代の入口で、一つの価値観の種を落としてきたことは事実です。生活や伝統そして環境を守る一つの手段として彼らなりに応用してくれることを心から願っています。
ラオスは私にとっても、大切な「ハチ蜜の森」となってしまったようです。いつかまたラオスの職人達から要請があったなら自費でも駆けつけたいと思っています。

(2011年2月 情報サイト「情報屋台
」掲載)
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