私と身体

 右手親指を切って三針縫いました。
 実家のハチミツ収穫作業を手伝った最後の日のことです。妻と一緒に担当しているのは、ハチミツの貯まった巣穴にかけられた蓋を切りとったり、余計に分厚くなった巣をもとの厚さにスリムにしたりする作業です。 
 切ってしまったのは、情けない事に作業中ではなく、包丁を研いでいる時のことです。蜜刀と呼んでいる長い包丁を使っているのですが、蜜蝋のねばりに負けてしまうので、毎回研いでから始めるのが日課なのです。この日は一ヶ月以上も続いた採蜜の最後の日ということもあり、いつもより念入りに研いでいました。調子に乗って刃の部分だけてなく本体のほうも磨きたくなり、手に持って砥石をこすりつけていたのです。
 一瞬、砥石が包丁からはずれ、気付いた時には、右手の親指の外側が深く切れ、切り口がまるでスライスハムのようにずれていました。痛みとともにみるみるうちに血がわき出し、その様子を見てさすがに吐き気がして、へたりこんでしまいました。幸いな事に妻が大きなカットバンを準備していたので、きつく押さえて病院へ向かいました。その日の作業は中止になり弟にも、手伝いの方にもムダな時間を過ごさせてしまい、申し訳ないことをしてしまいました。
 町立病院の先生がていねいに縫って下さいましたが、寝ての処置だったのでその恐ろしい様子は見ないで済みました。初めての経験でした。おかげで親指に一本の線は残りましたが、見事にきれいにくっ付きました。
 しかし、半年以上も経ちだいぶ良くなったのですが、今でも指先にしびれが残り、ぶつかるとぴりぴりと痛く、ロウソク製造には不便な右手となってしまいました。特にはさみで芯糸を切りそろえる作業は、柄をずらして手にかけるものの、時々ずれて傷口にあたり度々小さな悲鳴を上げる始末です。筆圧本意の書き方だった字も、力が入らず益々ミミズのようになってしまいました。子供の頃から手先の器用さを誉められて育ち、崇高な蜜ロウソク職人を目指す者としてなんとも情けない出来事になってしまいました。
 私の小さな切り傷は茶飯事な事で、以前に「右手が、支えてくれている左手をやっつける」という話を書きましたが、今回はまさに左手の報復となってしまいました。
 でも、万一あの時、指を無くしていたら、別の道を探さなければならなかったでしょう。この仕事が生きがいとなっているだけにぞっとしてしまいます。今では何をするにも気をつけるようになりました。これも崇高な職人になるための課題だったのかも知れないと、前向きに思い直しているところです。
 それからもう一つ、視力も弱くなりました。
 小学生時代は2.0をマークした自慢の視力でしたが、昨年から近いもののピントが合わないのです。5センチ位離すと見えますが、当然小さな字は小さくて見えづらいのです。近いものばかりでなく壁のカレンダーの字もぼやけてしまいました。
「これは、まさか?」
薬屋さんの目薬コーナーに行って驚きました。待ち構えていたように40代からのコーナーが設置されてありました。試しに郵便局で赤いメガネをかけてみると、すっきり見えました。間違いありません。どうやら初期とはいえ「老眼」のようです。まだ45歳なのに!
 振り返れば、製造業ではありながらお客様の注文メールのやりとりや納品伝票の打ち込み、3つのホームページの管理など、パソコンの前に座っている時間が近頃とても多くなっているのです。気晴らしに大好きな携帯麻雀ゲームもやってしまいます。
 特に、出張した時に駅のホームで遠くの掲示板が見えないのは不便です。見えないという事は近くまで行かないといけませんが、行ってみると違う場所だったりして、また目的の場所を探してうろうろしている状況です。歩きまわる時間がだんぜん多くなりました。「自分はなんて高性能な目を持っていたのだろう」と、今更ながらもったいないことをしたなと感じています。
 ずーっと成長中と過信していましたが、身体は消耗品だったのです。改めて身体と自分を分けて考えられるようになりました。自分の大切な乗り物を、無理な事をしてもったいないことにしてはいけないなとつくづく思った二つの出来事でした。
(2010年2月 通信「ハチ蜜の森から」No.32より)


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