木造校舎のある公園
(白い紙ひこうき大会を開催していた木造校舎が解体される前に抱いていた再利用の夢話です。)


 山形県朝日町に、日本で初めての“木造校舎のある公園”ができて10年がたちました。
 木造校舎はまもなく110歳を迎える旧大暮山分校です。20年前の1999年に校舎の老朽化や児童数減少に伴い閉校し、解体されることになっていましたが、校舎の二階から紙飛行機を飛ばす“白い紙ひこうき大会”が人気を博し、解体は延期されました。そして、10年前の2009年に再び取り壊しが計画されましたが、若者達の厚い願いを町は聞き入れ、校舎を彼らに譲ってくれたのでした。
 公園といっても、一見するとグラウンドの桜の木の下に「ベンチ」を三つ設置してあるだけです。学校だった20年前の風景と、さほど変わりはありません。しかし、このベンチは寝っ転がって読書をしたり、お弁当を食べたり誰でもがのんびりできる大切な場となっています。
 そして、イモリの池になっていた小さな「プール」は、三年前に新しい浄化槽が設置されついに甦りました。今では大きな町民プールよりも人気があるようです。
 そして心配された「白い紙ひこうき大会」は、無事再開し、今年20回大会を迎えるに至りました。昔参加していた子供たちが自分の子供を連れて参加してくれます。20位までの記録は体育館に掲示してあるので、昔出した自分の記録を子供に見せて自慢する人もいるようです。
 そして日曜日は「チャレンジ白い紙ひこうき大会」といって、公式記録にチャレンジすることができます。大会と同じで大人500円・子供300円のシャボン玉付きチケットを購入して4回まで飛ばすことができます。校庭には円盤投げのような計測ラインが埋め込まれています。地元の川口靖晃君が中学一年の時に出した最高記録37.3m地点には金色のラインが埋め込まれています。あれから17年もたつというのに未だ誰にも破れない記録です。シャボン玉は飛ばし終えた人が楽しみますが、その中を白い紙ひこうきが飛ぶ美しい風景を見ることができます。
 そして第一と第三日曜日には、大会の守り神であり、すっかり人気キャラとなった大黒様の「大黒舞い定期公演」が行われています。春は桜吹雪の舞、夏は太陽の舞など季節ごとの舞を披露しています。近頃はワイヤーアクションで空中も舞っています。ご利益の噂を聞きつけた人が遠くからわざわざ訪れるようになり、今や東北を代表するエンターテイナーとなりました。
 そして人気なのが、日曜日限定の「バーガーショップ」です。これはただのハンバーガーではありません。大黒様の思い出の味を使っています。大黒様の長岡清一郎さんは分校の出身ですが、冬は雪に閉ざされてしまうのでパンが届かず、給食のおばさんだった長岡美江子さんが朝早く起きて“蒸しパン”を作って下さったのだそうです。大黒様はその優しいパンの味の思い出が“宝”だと言います。みんなはたまらなくなり美江子さんに教わり再現しました。やはり、懐かしくってやさしくってとても美味しい味でした。開店にあたり、料理好きな仲間がハチミツやりんごジャム、カレーなどいろいろな蒸しパンメニューを考えてくれました。その中で一番人気なのがヘルシーな「蒸しパンダチョウバーガー」です。細かく刻んで煮込んだダチョウ肉とレタスやクレソンが、蒸しパンにぴったりなのです。春は山菜も挟まれます。蒸しパンには打出の小槌の小さな焼き印が押されています。ご当地バーガーブームに乗っかり、いつもあっという間に売り切れてしまいます。
 そして校舎に入ると、器や家具、鞄、服、靴など「工芸品の販売」がされています。公園運営の仲間には、元家具職人や器用な人が何人もいましたから、校舎の修繕費を稼ぐために体育館を使って日本ではじめての「木造校舎の椅子・机製造工場」を稼働させたのです。大暮山分校で使っていた椅子・机と全く同じデザインにして作っています。これが昭和ブームに乗り大当たりとなりました。材料はその後解体された和合小や三つの保育園舎の木材を再利用しています。近くのわかば保育園の講堂をそのまま倉庫にしてありますが、まだまだたくさんの材料が残っています。この椅子・机は10年、20年と使えば使うほど味のあるものになります。何年か前には、「作った人の心のこもったものを長く大切に使う喜び」を教える先進的な都会の学校に頼まれて、300人分を作ったこともありました。おかげで近頃はインテリア雑誌などにも頻繁に紹介されるブランドになりました。注文はお早めにどうぞ。
 そして、せっかくなので理科室と二階の両はじの三つの教室は「大暮山分校ものづくりトキワ荘」として、若いものづくり作家に工場(こうば)として貸しています。家賃は一年で10000円なので、まだ仕事場を持てない若い作家たちに大変喜ばれています。日曜日には自由に販売をすることもできます。体験をさせて収入を得ている人もいます。家賃や売上の20%は校舎の維持費に充てられますし、器用な若者達は痛んだ校舎も直してくれますから、お互い一石二鳥なのです。ただし、ここにはルールがあります。教室は3年で新しい若手に譲らなければなりません。ですから、みんな三年後の独立を目指して必死に頑張るのです。若者達はお年寄りの家の雪下ろしや八幡神社のお祭りも手伝ってくれるので、地区の人達は心から応援したくて、野菜や手料理を度々差し入れてくれます。時には食事に招いて夢の話をたっぷり聞いて下さる方もいらっしゃいます。親戚縁者への作品の売り込みも欠かせません。これまで9人の作家が巣立っていきましたが、有名作家になったOBの一人は、「あの3年間がなかったら今はなかった。地元の人の応援がいつも励みになった」と雑誌のインタビューで答えてくれました。履歴にもしっかり「大暮山分校ものづくりトキワ荘出身」と書いてくれます。嬉しいことです。
 そして飛行場にしている真ん中の教室は、空いている所は一日3000円で誰でも使えるフリースペースになっていて、毎週いろんな展示や催しが行われています。
 そして、大暮山分校を起点にして「観光ツアー」も盛んに行われています。分校から1キロ程の松保という所に「東北の縄文杉」と呼ばれるものすごく太い大杉があるのです。この杉を見た人はみんな畏敬の念にかられ、自分中心のちっぽけな人生を恥ずかしく思ってしまいます。しかも地球にやさしいエコロジーな気持ちもむくむくとわいて来るのです。歩いて小一時間のハイキングコースになっていますが、日曜日に運行する「耕運機ツアー」がとても人気です。秋には芋煮会も行われます。大杉のまわりの減っていた水田もファンクラブの「田んぼ体験」によって昔のように作られるようになりました。大杉が元気でいられるのは水田があるからなのだそうです。
 そして、大暮山地区には薄命の美人を祀った「お姫壇」があります。いわれは残念ながら分かりませんが、この地区に美人が多いのは、このためという噂が広まり、多くの女性がお参りにやのためという噂が広まり、今では立派なお堂も立ち、芸能人やニューハーフもお忍びでやってくるようになりました。
 そして、国の名勝地に指定されている葦の島が浮遊する「大沼の浮島」が近くです。歴史や信仰を尊ぶ人が来ると浮島は喜んだように動き回ります。一列になって迎えてくれることもあります。運がよければ夕方に狐火や、お燈明が宙を舞うのを見たりすることもできます。
 そして、もう少し下った八ッ沼地区には七不思議伝説があって奇妙な牛のようなカエルのような化け石があります。運が良ければ動くのを見られます。他にも金の鶏が飛んだり、子供の好きな地蔵様が歩きまわるのも見られます。池を掃除するきれいなお姫様とも会えます。
 そしてここにも、三中分校という明治15年の木造校舎があります。丸窓のある三階は、昼は「茶房」になり、抹茶と西松屋菓子店のおいしい和菓子も楽しむことができます。夜は夜景を楽しみながら朝日町ワインや地酒豊龍を楽しめる「がっこバー」になります。昼間は誰も気付きませんが、校舎の板壁の隙間にエコなLEDの小さな電球が埋め込まれ、昼間溜めておいた太陽電池で校舎をおもっいきり派手に「イルミネ」しています。最初は「文化財になんてことする!」と怒られましたが、おかげで話題になり、建物維持の寄付もたくさん集まるようになりました。茶房とがっこバーは和洋二つの顔を持つ分校出身の冨樫千鶴さんがあたっています。
 いつのまにかこの観光ルートはミステリロマンチックコースと呼ばれるようになりました…。
 そして…


 そして、目が覚めました。
 2009年正月

※ごめんなさい。私が代表をつとめる白い紙ひこうき大会実行委員会で、これまで話し合ってきた夢の構想を封印するのは忍びなく、ここに紹介させていただきました。

白い紙ひこうき大会公式サイト


(2009年1月 通信「ハチ蜜の森から」No.31より)