以下のコラムは、17年度「山形県いのちの教育推進会議」に、地域活動者代表として参加する機会をいただき、まとめとして書かせていただいたものです。諸先生方の中、私のような者が場違いに感じましたが、「ものづくり人」として、普段感じていることがもしかしたら一片の糧になればと、淡い期待で報告させていただきました。

ものづくりの目で見た「命」について

 「子供が皿に残ったハチミツを最後までぺろぺろなめるようになりました」
ハチミツの森体験教室に参加した子供がハチミツを大切に使うようになったことを、あとからの感想でいただくことがよくあります。それはとても嬉しいことです。
 私は、養蜂家の次男に生まれました。現在は、不要なミツバチの巣を原料にして「蜜ろうそく製造」を生業としています。実家の養蜂も少し手伝っています。子供たちに、ネットを被ってミツバチ観察をさせたり、蜜ろうそくを作らせたり、森を案内したりの、養蜂体験活動も毎週のように受け入れられるようになりました。この取り組みは今年で17年目になりました。
 当初、テーマを「ミツバチと仲良く」にしていましたが、ある時、小さな子供の参加者に「安藤さんはミツバチさんから家も食べ物も奪って悪い人」と名指しで怒られ、悩んだことがありました。確かに、ハチミツや蜜蝋を略奪する私もそれを食べる消費者である参加者の子供達も悪者になってしまう理屈になるのです。悩んだ末に、テーマを「ハチミツ」や「蜜ろう」、花粉交配している「果物」に変えました。「このおいしいハチミツや果物、きれいな灯火の蜜ろうはどうやって作られるのか」その繋がりやしくみを詳しく知る内容にしました。すると、がんばってくれたミツバチも、重労働の養蜂家も豊かな山形の森も尊重してもらえるようになりました。そこに「ありがたい」気持ちが生まれているようです。
 ところで、知らなかったことを知り、素直に感動していく子供たちの姿はいつも純真で、都会の子も山形の子も同じです。そんな姿を見ていると、すべての子供たちが命をかろんじていると私にはけっして思えません。でも、自殺したり、誰かを死なせてしまったりといった悲しい事件が起きていることも事実です。考えるほど複雑な心境になってしまいます。もしかしたら原因は、「ものづくり」の私が、日頃感じていることに少しだけ通じるかもしれません。
 私たちの身の回りの衣食住に関わる「もの」は、ほとんどがインスタントな作りで、相変わらずの使い捨て文化が横行しています。そこに「命」の繋がりが見えづらくなったのではないでしょうか。いろんな「もの」たちが、どこでどうやって誰がどんな思いで作ったか、そして誰の命をいただいてそれは作られたか。見えないから愛着もわかず、感謝の気持ちもわかず、簡単に捨てたり、壊したり、してしまえるのではないでしょうか。人の「命」もその延長になりつつあるとしたら、ぞっとしてしまいます。
 私の蜜ろうそくの仕事場は、私が根っからの「古いもの好き」「もったいない主義」なので、作業台や机、棚など多くの古い家具に囲まれています。大部分は木造校舎が解体される直前にいただいてきたものです。どれも高級な作りではありませんが、無垢材ですから森で生まれた木の優しいぬくもりを感じます。ちょっとしたデザインや面取り仕上げに作り手の思いも感じられ、同じ「もの作り人」としてはたまらないものです。また、長年多くの子供たちが使ってきた歴史も、いたずら書きや角の丸みなどに現れているので、一つ一つとてもあたたかい雰囲気を感じます。私にとっては、愛着の染み込んだ大切な宝物なのです。
 でも、今はそのような手作りの衣食住の「もの」を手に入れることは難しい時代です。共働きや核家族化、なんでも手に入る時代になり、家の周りの細工も、着るものも、食べる物すらも、ほとんどが買ってきたもので済ませられるようになりました。父親が直してくれた○○とか、母親が作ってくれた○○とか、じいちゃんが採ってきてくれた○○、ばあちゃんが教えてくれた○○とか、昔、子供のためになにかしてあげていたことは、もちろん我が家も含め、ほとんどがお金を出せば解決できるようになってしまいました。子供たちは、そこでは微かな愛情しか得られていないのではないでしょうか。結局、簡単に捨てたり、壊したり、食べ残したりしてしまえることになるのだと思います。昔は、ものに恵まれなくても、やはりそのような愛情いっぱいのものに囲まれて生活していたことは、きっと今より居心地がよく、もらった愛情の分だけ人や物にも優しく大切にしてあげられたはずです。
 私が蜜ろうそくを製造したり、体験教室をするようになった理由は、林道開発や造林事業、ゴルフ場開発など、ハチミツの収穫できる源の森が破壊されようとする中、「多くの人に養蜂のことを知ってもらいたい。森の魅力を伝えたい。人と森の距離を縮めたい」と願ったことからです。ハチミツを採っていたからだけではなく、何代も前から家族はその森の中で生きてきたので、私自身悲しい思いを感じたからでした。
 うまく説明できませんが、「人」も、どんな「もの」も、誰かの大切な命をもらって、誰かに大切にされて、その「命」は益々生かされるのだと思います。
 大きなことは言えませんが、これからもせめて自分の分野については、きちっと命の繋がりやしくみを紹介していきたいと、改めて感じました。子育ての姿勢も含め、初心に返らせていただけましたことを深く感謝申し上げます。
 ※この命の連鎖については、一昨年に私の蜜ろうを使って描かれ出版された、詩の絵本『いのち』(理論社)を見ていて整理できたものです。蜜ろうで、素晴らしい本を作って下さり、ありがとうございました。
(18年4月記)