蜂退治屋のつぶやき

 スズメバチの巣穴に殺虫剤を噴射すると、蜂達は牙をカチカチ鳴らし、大きな羽音をたてもがき苦しみます。その音は「グオーーーッ」と、まるで獣のうなり声のように聞こえます。その音はだんだん大きくなり、絶頂に達したように「フーッ」と急に静かに聞こえなくなります。私はその音を聞いて駆除の成功の有無を判断します。そして、きまって少しの罪悪感にかられます。
 何年か前。ちょうど封切りされたアニメ映画「もののけ姫」を家族で見た翌日のことでした。町観光課から「登山道に作ったスズメバチを駆除して欲しい」と連絡がありました。聞けば、特に大きなスズメバチらしく、すでに何人もの被害がでているとのこと。私は、世界最大のスズメバチ「オオスズメバチ」と直感しました。
 ただ、晩秋スズメバチやアシナガバチは、新女王のみが生き残り朽ちた木のすき間などに入り込み越冬しますから、いずれ巣には一匹残らずいなくなります。「今年はあきらめて通らないようにしたら」と提案しましたが、どこから登って来るか分からない登山者にどう情報を流すか、それに大切な観光客でもあるということで、渋々引き受ける事になりました。
 駆除作業は、蜂達がすべて巣に戻っている夜中に行います。元来、恐がりなはずなのに、恐いところが同じ位好きな性格でもあり、意を決して真夜中の原生林へ入りました。真っ暗で急な登山道を登ると、恐さと疲れの二つ分の心臓の鼓動で、まるで修行している山伏になった気分でした。
 このあたりでは、疲れることも「こわい」というので、きっと「憑かれる」と「恐い」がいっしょだったものが、「疲れる」にたいしても「こわい」と言うようになったのかも、などと勝手なことを考えながらもくもくと登りました。
 一時間半ほど登ると、現場の目印をついに見つけました。ところがほっとしたのもつかの間、巣穴が見つからないのです。大スズメバチの巣は土の中にあるのですが、門番がうろうろしているだろうから簡単に見つかるだろうと、安易に考えていたのです。闇も恐いし、蜂も恐いし、体もこわいしで、見つからなかったことにして帰ろうと何度も思いました。でも、プライドも許さず、仕方がないので、薄明るくなる夜明けをじっと待つことにしました。
 そして、あたりが青白く見え始めたまさに「逢魔が時」。一枚の葉っぱが度々ゆれることに気付きました。近づくと「ブーン」と一匹の蜂が頬をかすめて行きました。蜂達の活動がはじまったようです。もう、なよなよはしていられません。両手にジェット噴射式の殺虫剤を持ち、噴射しながら意を決し薮の中に飛び込みました。噴射を止めると立ち枯れた木の根元に直径3〜4センチの穴と門番の蜂をついに見つけました。すかさず、ノズルを穴に突っ込み噴射し、もう一本は背後一面に噴射しました。そして殺虫剤を入れ終わると、急いで石と土で穴をふさぎ足で固めました。
 ほっとしていると、まもなく「グオーーーッ」というあの唸る音が聞こえてきました。その音はよく駆除しているキイロスズメバチよりもはるかに大きく、本物の地鳴りと勘違いした程です。なにしろ音はどこまでも大きくなり、今にも土を食い破っていっせいに襲いかかってくるような感じだったのです。恥ずかしい話ですが、前日見た「もののけ姫」の影響も大きかったようで、思わず「荒らぶる神よ鎮まりたまえー!」と手を合わせてしまいました。おそらくこの時が、私の恐さは一番ピークだったでしょう。まもなくその唸る音は、私のかけ声に絶妙なタイミングで静かになってくれました。気付くとあたりは、ずいぶん明るくなっていました。
 こんな駆除作業はまれですが、7〜10月にかけて毎年40群前後のスズメバチを駆除しています。18才からやっていましたから、かれこれ700〜800群を駆除したことになります。もともとは、ミツバチを襲うスズメバチを駆除するのが目的でしたが,いつのまにか朝日町はもとより、隣の大江町や西川町も含めた駆除を担当するようになってしまいました。
残念ながら、現代において、人の生活エリアに営巣するスズメバチと、私たち人の共生はとてもむずかしいのです。

 今年は、隣町の教育委員会から後味の悪い駆除依頼がありました。内容は「山手にある学校の蜂駆除」。なにはともあれ、まずは明るいうちに下見に訪ねました。ところが巣を見て気が抜けてしまいました。アシナガバチの巣だったからです。しかも、巣は駆除にはとても困難な、はるか3階のひさしの上の壁の通気口に作られていました。送られてきたファックスをよく読むと確かにアシナガバチと書かれてありました。
 アシナガバチは、スズメバチと違って巣のそうとう至近距離まで近づかない限り、人を襲うことはありません。
 校長先生が一連の大変だったできごとをお話くださいました。その日は、台風の影響で暗く蒸し暑い日で、突然3匹の蜂が教室に入ってきて飛び回り、あわてて子ども達を体育館に避難させたそうです。そして、果敢な用務員さんと先生が殺虫剤と蠅たたきでやっつけましたが、それでも納まらず、隣や二階の教室にも入ってきたそうです。そして現在も暑いのに窓を開けられない状況とのこと。
 思わず「かわいそうに」とつぶやいてしましました。
  照明さえ消してくれれば、そんな大騒ぎはしなくても良かったのです。常日頃入ってこなかった蜂がなぜ入ってきたかというと、外よりも教室の方が明るかったからです。その日はうす暗くても蒸し暑かったので、普通に働きに出かけていたのですが、その通り道にある教室の明かりに誘われてしまったというわけです。さらに、教室に入り込んだ蜂は、暗い外へは出ていけないので、うろうろ飛び回り続けたのです。けっして子ども達を襲いにやってきたわけではありません。
 その時に先生方にやっていただきたかったのは、おおげさに子ども達を避難させたり、奮闘する事ではなく、ただ照明のスイッチを押すことだけだったのです。すぐに教室より明るい外に蜂は出ていったはずです。それは、たとえスズメバチが入ってきても同じことなのです。
 以上をお話ししましたが、校長先生は納得いかず「責任があるから、なんとか駆除して欲しい」の一点張りでした。 でも、消防のはしご車でもなければ、とても届かないところです。対策として、また蜂が入ってきても、ガラスにぶつからずにすんなり出て行くように、上の段の窓の一方のガラスに紙を貼ることを勧めました。蜂は体の上で明るさを感じるので、天井付近を飛び回りますから、高い窓から出ていくのです。そして、もう一度子ども達の前で蜂を外へ出す対処法をやって欲しいと願ってきました。
 後日、教育委員会からがっかりする報告がありました。先生方で竹竿をくの字につないで、ひさしの上の巣をはたきおとしたそうです。
 私が「かわいそうに」と思ったのは、アシナガバチもそうですが、居合わせた子ども達です。避難させられ、先生方が是が非でも駆除する様子を見て、彼らはアシナガバチは恐ろしいものと誤解し続けるでしょう。せっかく山手に住みながら、身のまわりにいくらでもいる蜂達に怯え暮らさなければならないリスクを背負わされたのです。それは、同時に山手に住むことの喜びや楽しみの領域を減らしてしまったことになります。リスクを知恵を使わず、全てそのように対処していくとすれば、山手は町場にくらべてただリスクが多いだけの住みづらい場所になってしまいます。山手で育つ子ども達は、町場の新しい情報や知識にかける反面、町場の子が持っていない山の知識や知恵を身につけ成長します。それを奪わないで欲しいのです。それが山手で楽しく暮らすための大切な手段であり、これからの人生において大きな誇りになるのですから。
 それに、危ないからすぐに排除してしまう考え方は、アメリカのテロ廃絶論と一緒です。相手を知ろうとしなければ、自然を大切にして「共に生きる」ことなどとても無理な話です。山手の学校の「環境学習」「総合的な学習」は、地域の方を先生に、まず町育ちの先生方からはじめてはいかがでしょうか。

※この夏、所属するNPOで早稲田大学の外国人留学生と、うちの町の山手にある分校の子ども達の交流会を催し、「縄ない」をやりました。地元のお年寄りはもとより、子ども達も立派な先生になっていました。驚いたのは、担任の若い女の先生が見事な手さばきで指導していたのです。聞けばなんと、あの小学校出身とのこと。こんな方もいるのです。なんだかとても嬉しくなった出来事でした。   (2004年10月記)

蜂駆除についてはこちらをご覧下さい

 

ハチ蜜の森キャンドル