ハチ蜜の森を育てる 

 トチの花が咲く頃を待って、25年前に父や亡くなった祖父達「朝日町養蜂組合」が初めて蜜源樹の植栽を行った森を訪ねてみた。以前から話を聞き、気になってはいたものの、なかなか行かずじまいになっていたのだ。車を降り、熊除けのベルを鳴らしながら、杉林を抜け、ブナの二次林を「フーフー」言いながら登る。かつて、この長い登りの道を、トチやニセアカシヤの重い苗を担いで、何年も植栽に向かった先輩方のことを思うと、その確固たる信念に、若輩養蜂家として頭の上がらぬ思いが、どんどん膨らんできた。

〔蜜源増殖事業のきっかけ〕
 蜜源樹とは、花蜜を出してくれる樹のことを言う。ただ、私たち養蜂業者が収穫できて、しかもおいしいハチミツを望むとなると、それはトチやキハダ、ニセアカシヤなどに限られてしまう。そのなかでも、この辺りの森にまだたくさん残っているトチは、「樹齢100年以上なら、一日に一斗の蜜を出す。」と語られてきた程、とにかくべらぼうに蜜を出してくれる樹木である。
 国が進めてきた拡大造林事業による広葉樹の伐採は、特に昭和40年代、森を蜂場にしていた養蜂業者が、当然目にする光景だったそうだ。その時の様子を、父は記録集でこんなふうに語っている。「バリ、バリ、バリって、直径2メートルもありそうなトチノキを、目の前で切られた時は残念だったな。まだ花がいっぱい咲いていてな。簡単なんだ。あの頃、チェーンソーの音があっちこっちで聞こえたね。太いトチノキを、トラックに縦に一本だけ積んで持って行くんだっけ。」(『朝日岳山麓養蜂の営み』より)
 そんな光景を目の当たりにした山形県の養蜂組合では、蜜源の森から蜜源樹が無くなってしまうことを危惧し、毎年蜜源樹を植栽し続けることを決めたのである。今日まで県内には、約3万本の蜜源樹が植えられた。
 ところでハチミツというと、レンゲやナタネ、カキ、クローバーなどの里場のものが有名だが、現在においてはある特定の地域を除いて、里場の養蜂はほとんど成り立たなくなっている。それは、農業や畜産の簡素化によりレンゲやナタネが姿を消してしまったことと、水田や果樹園の農薬の大型使用により、水を飲んだミツバチが死んでしまう事態になったからである。だから、天然林や二次林に残った蜜源は、ハチミツ収穫の大切な場となっているのだ。ただ、近頃は異常気象とも重なり、ハチミツの収穫が益々低迷している。確実な収入を得られる、花粉交配用ミツバチを果樹園に貸し出すことを、主な仕事にする養蜂業者が全国的に増えているのが実情である。いわば、ハチミツ収穫を主とする養蜂は、現在は最も混迷の時代と言える。

〔未来の養蜂家のために〕
 毎年、遅い秋の日に植栽は行われる。その日は、少々風邪をひいていても頑張って参加するようにしている。なぜなら、トチは花が咲くのに15年以上、蜜をたくさん出してくれるようになるには、最低でも50年以上かかるからだ。ようするに先輩たちは、自分たちの収穫のためにではなく、50年未来の後輩たちのために、自分の時間を使ってきてくれたのだ。しかも、後継ぎが予定されてない方も大勢いらっしゃる。私の祖父のように、もう亡くなられた先輩方も何人もいらっしゃる。しかも、植えた木が全て育つ訳ではなく、植え方が悪かったり、土地が合わなければ枯れてしまう。下刈りも、まめに行わなければならない。また、山形県は豪雪地帯だから雪で倒される。添え木も欠かせない。想像以上に植栽は手間が掛かり、失敗が付きものなのである。しかし、早くに植えた木は、花を付け始めている。天然の蜜源は減ったものの、そんな諸先輩方の苦労があり、育てている蜜源は確実に増え始めているのだ。

〔もう一つの蜜源増殖事業〕
 新たな試みとして、一昨年の植栽の日、近くの小学生に、郷土学習の一環として植樹を手伝っていただいた。森のベテランである養蜂組合の面々を先生に、ミツバチのことや森のことを質問攻めにしながら植えるという、ちょっと面白い趣向を凝らしてみた。地元の人に、蜜源の森を理解してもらえることは、私たちにとっても、何よりのメリットになる。
 組合の仲間たちは、初めは照れていたものの、いつの間にか声高らかに、立派に森の先生になっていた。子供たちにお礼として、ミツバチの巣をそのまま丸めて作る蜜ローソク作りを体験してもらったり、近くに置いてあるミツバチの巣箱を開けて観察会も行った。ハチミツ麦茶をごちそうし、最後には子供たちから合唱を2曲プレゼントされ、みんなジーンとなり、例年とは違う楽しくて心に残る植栽は終わった。
 そして後日、「地元の森からハチミツが採れるなんて知らなかった」と、子供たちからお礼の手紙がたくさん届いた。
 私たち若い世代は、先輩方の培ってきた木と心を大切に守りながら、次世代の養蜂に繋げて行かなければならない。それは役割だなと感じている。そしてウン十年後、豊かな養蜂の時代をしっかり確認してから、そのみやげ話を携えて、先輩方に報告しに逝きたいと考えている。

〔 植栽の森を訪ねて 〕
 30分程登り、峰を越え少し下った所に、目印と聞いたわき水の流れる少し開けた場所を見つけた。はやる気持ちを抑え、雑木の中から植栽されたトチやニセアカシヤの木を探す。
 やがて、トチ独特のソフトクリームのような白い花序は、すぐに目に飛び込んできた。思わず「あった!」とつぶやいていた。よく見ると、雑木に混じってその後ろには、数本のトチと、まだ新芽が出たばかりのニセアカシヤの背の高い梢が幾つも見えた。やぶを越え、それらの木の根元に行ってみると、どれも雪のために大きく根曲りしていた。
 幹の太さは想像していたよりも細く、直径25cm前後だった。少々、がっかりしたものの、冷静に考えてみればそんなものだなと、すぐに納得した。どうやら、私にとっての25年はあまりにも長い年月だから、頭の中で特別大きく育ててしまっていたようだ。
 トチの好む、わき水の細い流れに合わせ、5メートル程の等間隔で立っているトチの姿をじっと見ていたら、作業をしている父や祖父たちの姿が浮かんできた。25年前、父はちょうど私位の年齢だったはず。同い年の父は、その時どんなことを考えていただろう。25年という長い年月のすぐそばに、とても短い25年の年月を感じ、なぜか少し切なく思えてしまった。
 そして、それらの木々の生きている強い力を充分感じとった私は、ほっとして森を後にした。

(「林業技術」 特集木の花を探る 平成10年7月号掲載)