立木小学校の環境学習に関わって


〈衝撃的な一言〉
「食べ物やおうちを採ってしまったら、ミツバチがかわいそう」これは、環境学習のお手伝いになればと、体験講座をはじめた7、8年前のこと。ミツバチ観察や蜜ローソク作り体験を終えた、女の子の感想の一言である。今となっては笑い話にもできるが、当時の私にはあまりにも衝撃的な一言で返答に大いに躊躇してしまった。なにしろ、家業の養蜂や私の蜜ローソク製造を否定されてしまったのだから。当時の私が考えていた体験講座のテーマは、せいぜい「ミツバチや自然と仲良く」程度のもの。私自身、心の隅に「養蜂はミツバチからハチミツを奪うこと」という思いが引っ掛かっていたのも事実で、講座のタイトルは「ミツバチの森体験講座」だったし、工房名もミツバチたちの農場という意味で「ビーズファーム」と付けてしまっていた。
ただこの一言が、私に方向づけを考えさせる大きなきっかけになったのだと思う。

〈地元小学校に先生として〉
そんな折り、すぐ近くの立木小学校から『ミツバチ』をテーマに環境学習をしたいとの申し出があった。立木小は全校生徒12人。特に地域性を重んじた環境学習に力を入れており、ヤマメの受精作業から放流までを地元の養殖業者を先生に、毎年成功させている。モヤモヤを抱えたままで不安もあったが、知り合いの佐竹伸一先生からの願いということもあり、受けさせていただくことにした。
そして、綿密に話し合いを進め、実際にミツバチを校庭で飼い、一年を通して子供たちに観察や世話をしてもらうことに決めたのである。ミツバチは、偶然駆除を頼まれ手に入った野生種のニホンミツバチを飼うことにした。ニホンミツバチはあまり刺さず、外敵や寒さに強いのでほとんど世話が掛からないのが特長だ。反面、群れが小さいので集蜜量は少なく、とても神経質で逃げやすい。ただ、山暮らしだった私の祖父の時代は、ハチミツといえばこのニホンミツバチから収穫したものであり、祖父が養蜂を始めたきっかけとなった蜂でもある。世話と技術のいる養蜂用のセイヨウミツバチについては、私の仕事場に来て時々見てもらうことにし、失敗を前提にこのニホンミツバチを飼うことにした。
ちなみに朝日町のような山合いの町でも、ミツバチを健康に飼え、しかもハチミツの収穫ができるのは、この一番山手にある立木小学校だけなのである。なぜなら、里場では果樹園や水田の農薬がミツバチを死なせてしまうから。幸い全滅しなくとも、蜂数の少なくなった群れでは、秋のスズメバチの襲撃や寒い冬を持ちこたえることができず、いずれかわいそうな結果をもたらしてしまうのである。昭和30年代から40年代にかけて、日本の里場から養蜂飼育者が消えてしまったのは、このことが大きな原因になっている。私の父が飼育する150群のミツバチも、農薬を休止して行う花粉交配事業が終わったら、逃げるように奥山へ移動している。

〈ミツバチと一緒の学校生活〉
いよいよ、子供たちのミツバチと一緒の学校生活は始まった。いつも子供たちが楽しみにしていたのは観察だった。外からは見ることのできない木箱の中の巣が、いったいどれ位大きくなっているか?子供たちにとって最大の気がかりだったらしい。クラブ活動の時間はもちろん昼休みや放課後など、度々学校に出かけ観察会を開いた。万が一を考えて、必ず顔を守るための網をかぶらせ、蜂の嫌いな速い動きはしないように注意した。ニホンミツバチ専用の重箱式の巣箱を持ち上げ、手洗い場からはずしてきた大きな鏡を下に置いて中を写した。
「あった!」の歓声と共に、巣箱のふたにぶら下がっている群れの間から、ほんの少しだけ黄色い巣が見えた。汚れた巣箱の底板は、観察の度にきれいにした。
子供たちは、観察と平行して私の話もよく聞いてくれた。日本の代表的な蜜源樹の『トチノキ』が、この辺りにたくさん自生していること。国の進める拡大造林事業で伐採されてきたこと。仲間と25年も前から植栽を続けていること。トチノキからたくさん蜜を得られるようになるには、樹齢50年以上かかること。特産品のリンゴやサクランボは、ミツバチが受粉していること…。私自身は、子供たちと関わっていることが嬉しく、誇らしく、次はああしよう、こうしようと益々積極的になっていった。
そして夏休みの終わり頃、観察はもうできなくなってしまった。巣箱はハチミツでいっぱいになり、重くて持ち上げられなくなったからである。

〈待ちに待ったハチミツしぼり〉
「おおー!」重箱式巣箱の一段目の箱をはずすと、ハチミツたっぷりの数枚の巣板が現れた。ハチミツたっぷりの巣を収穫し、調理室へ場を移し、まず巣ごとハチミツを食べさせてみた。「甘い!」「うまい!」「おいしい!」そして布袋の中にバラバラに砕いたハチミツの巣を入れ、いよいよ『ハチミツしぼり』は始まった。袋に詰めて手でしぼるという方法は、事前に祖母から教わった。「ウワァ」とか「キャー」などの、鳴り止まない歓声の中、見る見るうちにハチミツはしぼり出された。手についたハチミツをなめてはしぼり、なめてはし
ぼり。しぼり終える頃には、さすがの子供たちもハチミツはもううんざりという顔をしていた。感想の時間、手に甘い匂いが染み付いているのに気づいた男の子が、「母さんにもこの匂いかがせる」と言ってた。そしてなにより「こんなにおいしいハチミツが食べられたので、自然やミツバチを大切にしたいと思います」と言ってくれた子供の言葉がとても嬉しかった。
後日、そのハチミツはハチミツケーキを作ったり、家庭へのおみやげにした。わずか30g程採れたミツバチの巣の蜜ろうは、みんなで小さな一本のローソクに作り上げ、まもなく花嫁になる低学年を受け持つ先生へ、ウェディングキャンドルとしてプレゼントされた。結婚式では、優しく二人を照らし出したそうだ。
最も嬉しいできごとを一つ。子供たちがせっせと集めたグリーンマークで、「安藤さんのためにも」とトチノキの苗を手に入れてくれたのだ。子供たちと校庭に植樹しながら、「ウン十年後、このトチノキのハチミツをみんなでなめようね」と約束した。

〈「ミツバチの森」を「ハチミツの森」に〉
この立木小学校との活動で、私が展開すべき体験講座のテーマは、「ミツバチ」ではなく「ハチミツ」や「蜜ローソク」なんだということを大いに実感できた。ミツバチをテーマにすれば、自然を大切にすることは伝えられても、つき詰めれば養蜂業者はもちろん人間が悪者になってしまう。しかし、ハチミツや蜜ローソクがテーマであれば、自然もミツバチも、養蜂業者も、その地域性や文化までも尊重してもらえる。「こんなにおいしいハチミツがなめられるから。こんなに優しい明かりが楽しめるから。だから自然やミツバチってすごい。ありがたい。大切にしたい。」こんなふうに感じてもらえるような『ハチミツの森体験講座』を、これからも展開していきたいと思う。

(自然と人間を結ぶ『食農教育』平成11年5月号掲載)