ハチ蜜の森から

 ミツバチの限定訪花性という習性をご存知だろうか。彼らは巣箱を飛び出してから一番最初に花を選ぶと、その花だけを最後まで回り続け、蜜や花粉を集める性質を持っているのだ。例えば、リンゴの花を選んだ蜂は、決してタンポポの花には止まらない。同じようにタンポポの花を選んだ蜂は、リンゴの花に見向きもしない。他の花粉が混じらずに確実な交配を受けた植物には、必然的に着果率の高い豊かな実りがもたらされる。直接ミツバチには何の得もないこの習性が、人間はもとより自然界の多くの生態系を潤すことになるのだ。
 多くの蜜源樹を含むブナの森には、飛びぬけて蜜を豊富に出してくれる「栃」という樹木がある。百年以上の樹齢なら、一本で一日一斗の蜜を出すとさえ云われている。喜ぶのはミツバチや養蜂家だけではない。秋に実るどんぐり三個分程もある大きな栃の実は、冬越しを前にしたネズミを喜ばせる。ネズミはイタチやキツネなど、その上の動物を喜ばせる。それに栃の実を広い集めると分かるが、栗虫よりも大きめの蛾の幼虫が入り込んでいる。彼らはきっと鳥たちを喜ばせるだろう。たどっていくと全く切りがなく、無駄もない。
 ところで栃の実は、人間にとっても近年までは大切な食料源であり、薬用としてさえ扱われてきた。江戸時代には切ってならない「留め山」として、人々が栃の木の保護に勤めていた歴史もある。だが、残念ながらそんな誇らしい文化は現代には続かず、沢沿い等の限られた場所を好む栃の木は、他の広葉樹以上に姿を消してしまった。現在、栃のハチミツを集める養蜂家は、中部地方の一部と東北地方の一部だけである。恵まれた東北地方の養蜂家といえども、栃をあきらめて帰化植物のニセアカシヤに移行する者、採蜜自体をあきらめて果樹の花粉交配を主な仕事にする者など、養蜂形態が変わってきている。栃のハチミツの生産量が減少しているのは、もちろん残念な事だが、昔ながらの均整のとれた森が、わずかしか残っていない事実の方が強く胸を締めつける。
 自然界の全ての生き物は、誰かに恵みを貰い誰かに恵みを返している。「貰ったら返す」という、ごく当たり前の事が、もしかしたらこの世で一生を送る為の最低限のルールではないだろうか。だとしたら、こんなに理不尽な事はない。我々ヒト科の動物は、あらゆる自然から恵みを受けているのに、何も返していない。そればかりか、森や川に捨てられたゴミのように、恩を仇で返してさえいる。森に入る度、人間の本当の気持ちが見えてしまうようで悲しくなる。今人間が求められていることは、まずもっともっと自然と人間の関わりを知ることではないだろうか。そして、関わりを知れば必ず愛着が生まれる。本来人間が自然に返すべき事は、その「根っこの付いた愛情」だったはずではないか。

(1993年10月「河北新報」掲載)