「東北電力第32回中学生作文コンクール(2006年)」秀賞


私たちの大切な大暮山分校

山形県朝日町立朝日中学校 3年
川口 愛梨沙


 私が生まれてからずっと住んでいる大暮山。小さい頃、大暮山は山に囲まれた退屈なところ、何もなくてつまらないところだと思っていた。
 しかし、大暮山の夏には欠かせない、大きな行事ができた。それは「白い紙ひこうき大会」。この大会は約八年前に閉校した大暮山分校を使って七年前から行われている。大暮山分校を忘れないように、閉校になった分校で何かやれないだろうかという実行委員長さんの強い願いがあって始まったそうだ。
 紙ひこうき大会は何ケ月も前から企画し、準備が始まる。それにかける熱い思いはいろいろなところに表れている。例えばポスターだ。ポスターは毎年、スタッフの手作りである。文字のデザインや使う写真、レイアウトもみなスタッフがアイディアを出して作っている。ある年には、前回大会で飛ばされた紙ひこうきを紙すきして、チケットを一枚一枚手作りした。そして、印刷も一枚一枚丁寧に刷り込んでいった。その作業は大変というよりも楽しかった。こんな作業をするようになったのは、スタッフの「手作りの大会に合うチケットを作ろうよ。」という一言があったからだそうだ。
 スタッフはほとんどが朝日町の人である。しかし、毎年東京や千葉などの遠くからも、当日のスタッフとして参加する人たちがいる。緑があふれた自然いっぱいの中で行われる紙ひこうき大会がすごく楽しみで好きなのだろう。私も今年の大会からスタッフとして参加することになった。ずっと参加していた兄の話を聞いてぜひやりたいと思っていたのだ。大人だけでなく、中学生や高校生、大学生といろいろな年代のスタッフといろいろな仕事を通して触れ合うことが楽しかった。
 もう一つ忘れてはならない大切なスタッフがいる。前日の掃除に参加してくれる大暮山の人たちだ。私の背丈ほどにも伸びた草を快く刈ってくれる。たぶん、自分たちが学んだ校舎が再びたくさんの人に使われ、喜んでいる姿を見るのがうれしいのではないだろうか。私も幼児学級を含め、四年しか通っていない分校だけれど、汚れていた校舎が多くのスタッフによってきれいにされていくのを見るのはとてもうれしい。
 大会当日。兄と双子の妹と三人で、朝から大暮山分校に向かった。分校の裏手にある八幡神社に、集まったスタッフで今年も大会が成功するように祈願に行く。その後、打ち合わせをして、妹と私はかき氷売りを担当することになった。きれいにできるか不安だったけれど、やっているうちにだんだん慣れてきた。お昼を過ぎた頃から気温が上がり始め、どんどん売れるようになってきた。かき氷を渡した時に、たくさんの人から「ありがとう。」と言ってもらったことがとてもうれしかった。
 この大会は、七年間雨で中止になったことはない。今年は午前中に急に雨が降り出し、雷も鳴ったが、大会が始まる頃には青空が広がった。去年も同じことがあったそうだ。それだけ「白い紙ひこうき大会」は大暮山分校に見守られ、スタッフの「成功させたい」という強い思いがこもっているのだろう。
 飛ばされた飛行機は計測され、結果が出る。四回まで挑戦することができるので、まだ次があるというやる気が出る。思うように飛ばなくても、グラウンドの円の中に入れば商品がもらえるという、誰でも楽しめる工夫がなされている。分校の二階の窓から飛ばすひこうきは、気持ちよさそうに青空の中を飛んでいく。緑いっぱいの山を眺めながら。私は今年、自己最高記録の二十三メートルを飛ばしたが、五位以内には入れなかった。来年も必ずひこうきを飛ばそうと思う。
 大暮山分校には数え切れないほどの不思議な魅力がある。私は大暮山分校がいつまでもたくさんの人の思い出の場所であって欲しいと思う。そして、大暮山分校に訪れた人たちみんなが、笑顔になって帰っていく姿を忘れずにいたい。たくさんの魅力があって、思い出がいっぱい詰まっている大暮山分校を、これからも私たちの大切な宝物として大切に守っていきたい。