白い紙ひこうき大会
山形県のほぼ中央部、最上川沿いに走る国道287号線朝日町真中
交差点を、秋葉山という小さな三角山の山裾に合わせるように道を折れ、
まっすぐな一本道を西へ車を走らす。
広い水田に囲まれた大谷集落を抜けると、左手に大谷川を
せき止めた馬神ダムが現れ、まもなく車道は急に狭くなり、
くねくねと大谷川にそって上流へと続いていく。やがて、
小さな砂防ダムを挟むような分かれ道にでるので、ここを右に折れる。
左は浮島で有名な大沼へ続く道である。
国道を折れてからここまで10分程。まもなく大暮山の集落が見えてくる。
村に入り、万福寺を右手に過ぎると、途中一軒だけ酒や食料品を扱う
小さな店がある。私は時々、目的の場所でのんびりするために、
ここで缶コーヒーや紅茶を買っている。その店の正面の丁字路を
右に登れば、目的の場所はもう目の前である。
黒く日焼けた壁が末広がりになっている古い小さな消防ポンプ庫と、
八幡神社の石段の登り口に据え置かれたこま犬の分かれ道を、
最後に50メートル程左に登る。左側に小さな広場があるから、
車はそこに止める。車を降りるとすぐに、入口の太い藤つるに目がいく。
その迫力と、頭上を覆うように葉を繁らせてる様子は、
まるでこの場所の歴史を誇示するかのようだ。
その藤棚の下の坂道を30メートル程登れば、いよいよ目的の場所である。
前を見上げながら、そして何も変わっていないことを祈りながら、
一歩一歩登っていく。やがて赤いトタン屋根の角がてっぺんの方から
見えてくる。そして坂を登り上げるとそこには、百年以上の歴史を持つ
木造校舎が、ポツンと時代に取り残されたように、しかし堂々と、
今でも大暮山の人々を見守るように建っている。ここは昨年の夏、
さまざまな思いを胸に開かれた「白い紙ひこうき大会」の会場、
大谷小学校旧大暮山分校である。
事の始まりは6年程前。校舎の壁の中に営巣している二群れの
スズメバチの駆除を依頼され、下見に訪ねた時の事。
一周100メートル程の小さなグラウンドを囲むように、正面に
二階建ての木造校舎、右側に体育館、左側は4コースの
25メートルプール。木の格子窓の歪んだガラスはピカピカに磨かれ、
一枚一枚別の風景を反射させていた。
けっして立派な校舎ではないが、その均整の取れた姿、
古さ故の傷み具合に、私は身を低くしたくなるような威光を感じた。
今はない私が学んだ木造校舎のことを思い出したことも、
大きな一因だったのだろう。
私は大暮山分校に一目惚れしてしまった。そして、
こんなすてきな学校が、わが町に存在していたことに驚き嬉しんだ。
数日後の早朝。前夜に終えていた駆除の残骸を片付けるために、
私はまた分校を訪ねた。校舎脇の体育館と繋がる一段低い屋根に
登って、グラウンドをぼーっと見下ろしていると、小学生の頃の
懐かしい思い出に紛れ、ふと高校時代のエピソードが頭をよぎった。
それは2年生の休み時間のこと。三階の教室の窓から、校庭に
向かって飛ばした私の紙ひこうきが、たまたま気持ちよさそうに
飛んだらしく、それを見たニ階の3年生達が飛ばしはじめたのである。
さらに、それを見ていた四階の一年生まで飛ばしはじめた。
もちろんクラスメートも飛ばし、中にはカレンダーの最後の12月を
破って巨大なひこうきを飛ばす者まで現れた。
みんなでやれば恐くない。
それはそれは楽しくて気持ちいい一時になった。
気付いた時には、校舎の下に白い紙ヒコ−キが何十機も散乱していた。
私は分校の屋根の上でグランドを眺めながら、悪戯な気持ちをまた
ムクムクと膨らませていた。白い紙ヒコーキを、木造校舎やひまわりを
バックに、誰が一番気持ちよさそうに飛行させることができるか!
タイトルが決まった。「白い紙ヒコ−キ大会」。
だが、その時は、まさか本当に開くことができるとは思ってもみなかった。
それから4年後の一昨年。悲しいニュースが伝わってきた。
分校は、児童数減少と本校舎新築に伴い、閉校することになったのである。
それは同時に、校舎の取り壊しを意味するのだ。すぐに関係する町の
職員にたずねたが、悪化する財政の中では維持しきれない。
これまで閉校した学校同様に取り壊しは免れないだろうとのこと。
成す術も見つからず、愕然とした思いを胸に、淡々と月日は流れた。
そして昨年、平成11年3月、大暮山分校は長い歴史に幕を下ろした。外は、
大暮山地区民の気持ち、校舎の気持ちを表すかのように、
季節外れの大雪が降っていた。
思い掛けない展開が待っていたのは、桜咲く翌月。落胆の中に、
小さな朗報が舞い込んできた。なんとわが町の財政は益々困難を極め、
今年度は取り壊しの予算がつかなかったというのである。
大暮山分校は、なにはともあれ1年は存在する。
「もうこの夏しかない」私はついに、あの白い紙ヒコーキ大会を
開催することを心に決めた。
熱くなった私は、すぐに仲間探しを始めた。
だが、あまりにもイメージ先行のイベントのため、
理解を示して下さる人はなかなか現れず、思いがけず私は初めから途方に
くれてしまった。焦りに焦った5月。そんな私の心を諭るかのように
希望の手紙が届いた。「おもしろ塾」からの本年度事業計画会議の
お知らせである。おもしろ塾はわが町の中央公民館事業の一つで、
町の若者たちが面白そうなことについて、自分達で企画、立案し、
学ぶといった、三十才代までの若者で構成する団体である。
私は近頃、幽霊塾生だったので昨年のうちに退塾願いをみんなに告げて
しまっていたのだが、駄目で元々、恥を忍んで出席させていただいた。
そして頭をかきかき、恐る恐るイメージを話してみた。すると、
「映画のような映像にも残したいね」という映画好きな女性メンバーの
一声とともに「写真もいい」「かき氷りもやろう」「金魚すくいも」
「ポスターをクレヨンでも描こう」思いがけず場は盛り上がり、
具体的なアイデアがたくさん上がった。頃合いを見てまとめ役の塾長が、
にこにこと「やるべ」と声をあげ、開催が決定した。
嬉しかった。
さっそく大会に向けた準備が始まった。まずは、校舎前の花壇に
ひまわりの植え付け作業。草だらけの花壇を整備するのは思ったよりも
大変だったが、担当の職員が作ってくれた美味しいおにぎりが元気を
回復させてくれた。塾長の愛車の旧式ランクルが妙に校舎に
マッチしていることも嬉しかった。驚いたことがあった。
せっかくだからと、実際に二階の教室から飛ばしてみることになり、
校舎に入ったのだが、閉校してたった二ヶ月程なのに、埃がたまり、
ガラスは輝きをなくし、校舎がずいぶん年老いて見えたのである。
気掛かりな事はもう一つあった。閉校式の時にぬかるんだグランドに
敷いた青い砕石。玄関まで一直線に、まるで神社の参道のように
見えてしまい、グランドのイメージがなくなってしまっていたのだ。
それは最後まで大きな課題になった。ただ、紙ヒコーキは、柔らかな朝の
光を浴びて気持ち良さそうに飛行した。
前例のないイメージ優先のイベントだけに、検討会議は何度も
何度も開かれた。木造校舎、ピカピカのガラス窓、ひまわり、青空、
蝉時雨、運動会用のテント、出店、麦わら帽子、すいか、笑顔。
そして算数のテスト用紙で作る白い紙ヒコーキ。
あたかも映画のワンシーンを切り取ったような
「あったかくて、やさしくて、懐かしくって、ちょっと切ない」
そんな大会をめざすことになった。
「教室の窓から飛ばしてしまえ!」という悪戯なキャッチフレーズも
提案された。ちょうどその頃、3月まで大暮山分校内にあった保育所の
保母をしていたという強力な助っ人も現れた。知らなかったり、
思い出せない校舎の詳細について、度々教えていただくことができた。
欠かせない大変なひまわりの水やり作業は、大暮山地区の子供たちが
請け負ってくれた。ポスターは、写真の得意なメンバーらが、実に
ぴったりの写真を撮影してきてくれた。それは校舎独特の格子窓を前に、
メンバーの女性が紙ヒコーキを手に飛ばそうとしているもので、
その写真を見ていると、飛ばしたいけど飛ばせなくているようにも見え、
その続きが見たくなるような不思議な一場面になっている。
早速パソコンの得意なメンバーが構成し、安価なA3カラーコピーによる
素敵なポスターに出来あがった。手分けして町内はもちろん、
町外にもたくさん掲示した。また、クレヨンで描いたポスターも10枚程作り、
大暮山地区や町内に掲示した。
8月に入ると、にわかに準備作業が忙しくなった。嬉しいことに、
一年前にアイルランドで知り合った学生が、原付きバイクで東京から
やってきて、大会当日まで手伝ってくれた。頭を悩ましたのは、
メインの大きな看板である。限られた予算の中では、
とても業者には頼めない。みんなで思案していると、
年賀状をいつも墨字でアートぽく書いているという女性メンバーの
名前が浮上した。しぶる彼女が、大判の障子紙に書いてくれた
「白い紙ひこうき大会」の字を見て驚いてしまった。
字体が大会のイメージをみごとに表していたのである。
前日は、道案内の掲示板を設置し、校舎の大掃除、ガラス磨き、
グラウンドの白線引き、テント設営、音響機器のチェックと
忙しさは絶頂になった。工場に勤めているメンバーがトラックを
借りてきてくれたり、電気工事をしているメンバーは見事な手さばきで
配線を直してくれた。町の高校生ボランティアOBやその友だちも
飛び入りで手助けに来てくれた。ハアハア息を吹きかけながら
窓を拭いたり、四つん這いで床を拭いたり、少しずつ校舎はきれいに、
そして活き活きとしてきた。それともう一つ嬉しかったのは、地区の方が、
グランドの青い砕石を区で使うからと取り除いて下さっていたのだ。
校舎もあきらめていたグランドも甦った。盛り上がりを感じて
嬉しくなったが、同時にいずれ取り壊されることを思うと、
なんとも複雑な気持ちになった。最後に、校舎正面の二階の窓枠の上に、
あの障子紙でできたメインの横断幕がかかげられた。
想像以上に校舎とマッチしていた。
いよいよ明日が本番になった。
早朝、雨の音で目が覚めた。窓の外は激しい雨と真っ黒な雲。
ラジオのローカルニュースは、土砂崩れや電車の運休を
さかんに知らせていた。昨日までの心の盛り上がりが嘘のように
沈んでしまった。
いても立ってもいられなくなり、塾長に電話をかけると、
「参加者は減るだろうけど、濡れたり、汚れたりするのは我々だから、
まずやってみるべ。それに止むかも知れないし。」
思ったより楽観的な返事に少々とまどってしまったが、よく考えると
それもそうだなと少し心が落ちついてきた。
なにしろここまで頑張ってきたのだから、しかも最初で最後の
イベントなのだから、いい結果に落ちつかないはずはない。
私の萎えてしまっていたプラス志向もやっと復活してきた。
塾長の予想は見事に当った。
やがて空が明るくなり小雨になったのである。
出かける頃にはほとんど止んでしまった。信じれない現象だった。
あとで聞いた話だが、その日、
県内で雨が上がったのは朝日町周辺だけだったらしい。
分校に行って私はさらに驚いた。
グランドが全然ぬかるんだり、水たまりになっていなかったのである。
もしかしたら、ここだけ殆ど降っていなかったのかも知れない。
私は、大暮山分校が雨を追いやってくれた気がして、
思わず校舎を見上げてしまった。
「キンコンカンコン…」
突然、校庭になつかしいベルの音が鳴り響いた。
悪戯好きなメンバーが、放送機材の気になったというボタンを
押したのである。おまけに、続いて集落中に聞こえそうな
大きな音のサイレンまで鳴らしてしまった。
大慌てしたものの、授業開始のベルは大発見だった。
大会の始まりと終わりに使うことに即決した。
商工会に勤めるメンバーは、手伝いに来てくれた友人と
受付で得意の会計。審査員は、大暮山区長の阿部喜久三郎さん。
そして映画をこれまで数千本見たという映画センターの高橋卓也さんと
画家の藤井武さんが駆け付けて下さった。開始時間が迫り、
参加者が続々と会場入りしてきた。そして
「キンコンカンコン…。
ただ今より大暮山分校白い紙ヒコーキ大会を開催致します。」
校舎のメガホン型スピーカーから厳粛に、
進行係りの澄んだ声が聞こえてきた。
いよいよ始まりである。
塾長と大暮山区長の挨拶。私のルール説明。
エントリーナンバー001大暮山区長による始球式ならぬ試飛行式。
そして競技が始まった。初めはなかなか飛行距離が伸びなくて心配したが、
次第に遠くまで飛ぶヒコーキが現れ、その度に「おーーーっ」という長い
歓声が上がった。三世代で分校で学んだ家族や、帰省された家族、
町外からも多くの人が参加しくれた。始め固くなっていた
二階のレポーターは、いつのまにか実に面白おかしいレポートで
場を盛り上げてくれた。
子供もお年寄りもみんないっぱいの笑顔だった。
気温が上がり蝉時雨も始まった。
子供たちの水やりの成果でちょうどよく咲いたひまわりや、
かき氷やラムネの売店は、なくてはならない風景の一役を果たしてくれた。
空は最後まで青空にはならなかったが、
「だからこそ紙ヒコーキを飛ばすんだ」と妙に納得できた。
輝きを取り戻した窓ガラスは、大会の一部始終を
物言わず反射させていた。感動が静かに静かに私の中に満ちてきた。
そして気持ち良さそうに白い紙ヒコーキは校庭の空を飛んだ。
(2000年5月 通信「ハチ蜜の森から」19号より抜粋)
〔お知らせ〕
今年も大暮山分校は解体をまぬがれ、
「白い紙ひこうき大会」が8月12日(土)に開催されることになりました。
詳しくはニュースをご覧下さい。