私の中の山神
春、ミツバチを山に上げると、両親は決まってその近くの『山神』に、手を合わせる。初めて収穫したハチミツを供え、感謝の気持ちを伝えているらしい。私は小さな時からそんな光景を見ていたから、いつの間にか、山神の石塔を見つけると思わず手を合わせるようになっていた。
うちのミツバチがお世話になっている山々は、朝日連峰の東側から北側、隣の月山の南側山裾にあたる。朝日町の白倉、一ッ沢、木川、大江町の古寺、田の沢、西川町の四ッ谷、月山沢、朝日村の大鳥があり、どの場所も奥深い山村だ。もしくはかって人の暮らしがあった廃村だ。だから、どこの蜂場の近くにも、たいてい山神の石塔はある。昔話のようになってしまった山神信仰だが、廃村の石塔でさえ、きれいに草が刈られていたり、お菓子が上がっていたりしているのはいつもほっとする。
両親が山神に手を合わせるようになったのは、訳があるのだと思う。養蜂業には、熊やスズメバチなどの天敵被害、悪天候やトチの裏作による収穫不足、ミツバチの病気など、心配事がつきないのだ。昔、ミツバチ60群のうち40群を熊に食べられてしまった話は、未だ話題にのぼる。それに加え子供3人を抱えての暮らしは、きっと相当に緊迫したもので、多くの修羅場を切り抜けてきたに違いない。そしてそんな中、豊かな収穫ができた時、どんなにか嬉しかったのではないだろうか。自然やミツバチ、人、道具、先人との知恵など、あらゆるものに感謝の気持ちが涌いたのではないだろうか。実は私自身、自分の作った蜜ローソクと引き替えに、見合ったお金や感動した旨の感想をいただいた時、諸々の活動がうまくいった時は、いつもいろんなものに感謝したくなってしまう。「この幸せは、自分一人の力じゃない。あの人がいたから、豊かな自然やミツバチのおかげ、あんな事があったから、この道具があったから・・・」私には、私を支えて下さる多くの人はもちろん、ローソクを作るナイフ一本ですらも愛おしい存在なのである。
それと、私にはもう一つ山神に手を合わせてしまいたくなる理由がある。このような事を書いてしまうと、大げさだと思われるかも知れないが、私はすっかりそう思いこんでしまっているのだ。
それは、私を強烈にサポートしてくれる目に見えない力を日々感じていること。ビーズファームが山合いにあるせいか、工房がドーム型をしているせいか、考え過ぎか、前号で紹介した『妖精モンバ』の話や星野道夫のことを含め、不思議な事がここ数年頻繁に起こっているのである。そして、それらを受け入れるとどういう訳かスムーズに前に進むことができるので、いつの間にかすっかり生活の一部になってしまっているのだ。
その不思議には、いろんなタイプがある。例えば、誰かの事を考えていたら、すぐにその人から電話があったり、出会ったり、訪ねて来たりなどの「噂をすれば何とやら」という偶然。誰でも心当たりがのある事だと思うが、私にはこの手の偶然がほとんど毎日ある。多い時は3度も4度もある。それも大切な用件の時が多い。このことは、妻も相棒の山田君も認識している。
一番仰天してしまったのは5年程前、親友がインドで音信不通になってしまった時の事。手紙が途絶え、彼の母さんはひどく心配していた。ある朝、私は彼が片手を上げて空港から出てくる夢を見た。冗談半分で、妻に「あいつ帰って来るかもしれないよ。夢に出てきたから。」と言った。そしたら、翌朝も全く同じ夢を見てしまった。「必ず帰ってくるみたいだよ。」と、妻に念を押すように言った。そして2日後、親友のお母さんから彼が2日前に帰ってきた旨の電話をいただいた。妻と顔を見合わせてしまった。彼はその話に気をよくして、その後2年間蜜ローソクと実家のミツバチの仕事を手伝ってくれ、お陰で私は、ビーズファームの基礎を固めることができたのである。
一匹のサルが砂の付いた芋を洗い始めたら、違う場所にいたサルたちも一斉に洗い始めて有名になった『幸島のサル』のように、心の伝達方法は人間にも必ずあるのだと私は確信している。
住んでいる裏山に計画された、ゴルフ場開発の反対運動の時は、公聴会などの資料を作るために、自由に使えるコピー機が欲しいと思っていた。すると、何にも知らない友人が「仕事で使え」と中古のコピー機を運んで来てくれたのである。お陰で、随分たくさんの資料を作成する事ができた。ある日、録音に使っていたレコーダーが回らなくなり、続いてコピー機も動かなくなってしまい、残念がっていた矢先、計画は完全に無くなったとの朗報が入った。ちなみに、計画が持ち上がる半年前に私は何も知らず、ここ計画予定地区にある妻の家に引っ越して来たばかりだった。
最大の不思議は、蜜ローソク製造を始めて3年程経った頃のこと。蜜ローソクもなかなか知られず、売り上げも伸びず、内心私はあきらめかかっていた。そんな時、照明文化研究会の機関紙の複写が送られてきた。その中には、ローソクの歴史の一説があり、そこにキリスト協会で最も神聖なローソクとして蜜ローソクが用いられてきたこと。4世紀から今日まで、毎年2月2日は明かりに感謝する『キャンドルマス(聖燭祭)』の日と書かれてあった。なんと2月2日は、私の誕生日である。おこがましいけれども、私はその時に蜜ローソクは天職だと思い込み、あきらめないでこれまで続けてこれた。近頃知ったことだが、アイルランドなどに残るケルトの暦においても、2月2日(もしくは1日)はイモークと呼ばれる、ローソクを灯して春の訪れを祝う日なのだそうだ。
阪神淡路大震災被災地の子供たちへ、みんなで手作りキャンドルを贈ろうとする、リトルライトネットワーク活動は、本当にいつも何者かにサポートされているように感じていた。
被災地側で要になってサポートして下さった伊丹市の森信子さんは、辰年生まれのB型、2月1日キャンドルマス・イブ生まれ。私も年生まれのB型、そして2月2日キャンドルマス生まれ。
また、一年目、被災地にいる間中、この活動が間違っていないかどうか、実はとても不安だった。ところが最後の会場の子供たちへキャンドルを配ったときのこと。目の前の女の子が包みを開けたその紙には、なんと『げんた』(長男)の文字がかいてあった。玄太の作った3本の内一本のキャンドルは、全体の1200本の中から、最後の最後に父親の目の前に現れたのである。このボランティアは間違っていないことを示唆するできごとのように思えてほっとすることができた。
またあの頃は、被災地に近い関西や四国での仕事が度々入り、打ち合わせなどを重ねることができた。それまで関西は、修学旅行以外一度も行ったことがなかった。 何か震災関係のイベントをしたいと思っていた時のこと。仕事中、お気に入りの『スピッツ』のCDを聞き飽きたので、私はラジオのスイッチを入れた。すると、とたんに「歩いて 歩いて あなたに着く 次のかど 曲がる きっと会える・・・」と震災の歌が流れてきた。あまりもの偶然と、胸のドキドキに、この神戸のシンガー『おーまき ちまきさん』を呼ぼうときめた。そして秋に県内4か所でコンサートを開催できた。
些細だが、こんな事もあった。 子供の為にも、犬か猫を飼いたいなと思っていた時のこと。仕事から帰ると、玄関の前に子犬のポインターがぼろぼろになって震えてうずくまっていたのである。ポインターは父が3代続けて飼っていたことがあり、一年前に最後の犬が死んでいた。一週間待っても飼い主が現れないので、家族と相談し飼うことにした。狂犬病の注射をし、登録を済ませて実家になにげなく報告したら、母が「今日は、クロ(飼っていたポインター)のちょうど1年の命日だよ」っと言った。
どうしても眠れなくて、部屋で仕事をしていたら、朝方に妻が破水し、すぐに産婦人科へ。長男玄太が二週間早く誕生した。そういえば、朝まで眠れなかった時、私がかわいがっていた実家の猫が死んでいたこともあった。
最近あったのは、新しい工房を立てるためにモチーフにしている気になる建物があって、その写真を大工さんに持って行った時のこと。それが昔の木造校舎風のちょっとしゃれた建物だったので理解してもらえるか心配でいたら、「この建物は私が50年前に始めて立てたものだ」と言われた。
思い起こすと、これらのできごとは、自分や自然を素直に見つめられるようになったあの川でのできごと(通信12号参照)があってから始まった気がする。そして、何かに対して頑張っている時に多くあるようなのだ。
いつのまにか私は、日々の暮らしを、自分の中で誰かと共にやっているように思ってしまい、そして不思議がある度に導かれているように感じ、「そうしよう」とか「ありがとう」とつぶやいている。迷っている時など、じっと待っていれば、必ず示唆するきっかけが現れてくれる。そんな幾度もの経験がすっかりプラス思考をもたらし、失敗すらを何か示唆しているのではないかとドキドキしてしまう程なのだ。
こんなことは、ただの偶然に過ぎないのかも知れない。興味あるものには余計目が行くだけの話かも知れない。いいようにいいように考えてしまうだけかも知れない。でも、少なくとも私には、私を取り巻いて私を助けてくれる人、そして自然、道具、出来事、先人の知恵と同じ、ありがたい私の中の『山神様』なのである。
(平成10年6月10日発行ビーズファーム通信より)