かぶたれの川 朝日川
「かぶたれしたー!」
この辺りには、独特の「かぶたれ」という方言がある。川辺で足を滑らせ、 不本意に川にはまり服を濡らしてしまうことを意味しているのだが、私は この言葉に特別な誇らしさを感じている。
ビーズファームのすぐ裏には、朝日岳の水を集めた「朝日川」というきれ いな川が流れており、その川原は花崗岩の玉石がゴロゴロしている。私は この川のその玉石に何度もバランスを崩し、何度もかぶたれしながら育っ たのである。
小学校に上がる前は、まだこの場所にあったじいさんの家に住んでいたか ら、目の前の山と、すぐ裏の川は大事な遊び場だったのだと思う。そんな うつろな記憶の幼年期でも、熾烈な思い出として心の残っていることがあ る。それはヤマメやカジカのつかみ取り。ビーズファームの100メートル 程下流の辺りは、現在は埋め立てて広場になってしまったが、その頃は広 い川原で、幾通りにも細い川が流れていた。ガキ大将グループの兄さんた ちは、そのうちの一つの流れの同じ所に、大きな石をどんどんぶち込んで いた。やがてその流れは、違う流れに合流し、水を失った元の流れには、 たくさんのヤマメやカジカが逃げられずにバタバタし、本当のつかみ取り ができたのである。今でもその時の喜びはしっかりと思い出せる。そして *あぶらっこの私は、その時に初めて魚の存在、捕まえる心のときめき、 技術の魅力、そして人を尊敬することを知ったのだと思う。
そういえばあの頃は、大人も子供も短靴という、ゴム製の長靴の上を切っ たような妙な靴を履いていた。小学校に上がると、車で10分程下った宮 宿(みやじゅく)に引っ越したので、毎日遊べることはできなくなってし まったが、父の養蜂の仕事は山が中心であったから、ここにはいつも遊び に来れた。その頃熱中していたのは、沢ガニ捕まえだった。じいさんの家 のすぐ前の土手に、何カ所かしみ出していたほんのチョロチョロの流れが ポイントだった。石や落ち葉をそっとのけると、彼らは確かにそこにいた。 今、その土手はコンクリートに固められてしまったが、さらっと雪が降っ た時には、その辺りだけが朝日川に向かって溶けていて、目に見えない流 れの存在が分かる。そんな時、あの沢ガニのことを思い出す。
やがて、水中メガネを使って川を泳ぐことを覚えた。ビーズファームの下 流50メートルにある大きな淵はプールと呼んでいた。魚が泳ぐのを真横か ら始めて見た。ヤマメの子供がかわいい顔をしていることも知った。川面 からは想像もつかない、地上とは明らかに違うゆったりとした世界がそこ にはあった。
高学年にもなると、ヤスで、ヤマメやカジカを突いて捕まえる楽しさを知 った。まれに捕まえられた魚を、柳の枝にえらを通して誇らしげに持ち歩 くことも覚えた。あまり上達できなかったが、ヤマメの釣り方もじいさん に教わった。そういえば、矢口高雄の「釣りキチ三平」も大切な参考書で、 その中に登場する一平じいさんは、笑った顔とキャラクターが私のじいさ んそっくりだった。
中学生になると、汗だくになりながら仲間と自転車をこいでこの川に来た。 どういう訳か、学校指定のトランクスで川に入るのが習わしだった。ライ ターと塩は、川原で流木を集め、捕らえた魚を焼いて食べるための必需品 となった。この焼き魚は、今でも私の大好物である。流木の煙がもたらす 香りは、私にとってはどんな薫製用チップ材のそれよりも勝る。それに、 何よりその頃は捕って食う喜びを誇らしく味わっていたのだと思う。嬉し いことに、こんな風景は今でも全く変わらずに夏になると見ることができ る。ところで、ヤスの使用は漁業組合の規則により全面禁止のはずだが、 高校生まではけっしてとがめられたりはしない。組合の偉い人がこっそり 話してくれた。「俺たちだってそうしてそだったのだからな。」 お陰で私は、今でも不安定な玉石の川原を「釣りキチ三平」のようにぽん ぽんと軽やかに飛び回ることができる。立木の子供たちといると、自分が 一番のガキ大将に思えてしまう。
これからも、かぶたれしながら成長して行こうと思う。
*注釈「あぶらっこ」
どこのガキ大将グループにも、小さな子が大きくなるまでや、新人がゲ ームや遊びを覚えるまでは、その子を「あぶらっこ」と称して、本気でや らない、逃げ場を作る、教える、危ないことはさせないといった、いわば 保護・養成システムがあったのです。
(平成9年1月17日発行ビーズファーム通信より)