ハチミツの森と自分
いつからだろうか、森へ季節ごとに家族を連れ、弁当を広げるのが恒例になっている。なんだかそれが、生活の中で一番安堵でき、家族を感じる時のような気がするからである。時間の無駄づかいがいつもは気になる私も、この時ばかりは、一分でも余計にいたくなるし、子供のことでも、自然の中に自由に遊ばせておくと、なんだか自分の親に子供を任せたように安心できる。森の新緑は、「再会の喜び」と似ている。幾色もの淡い輝きの中にいると、嬉しくなってきてニコニコしてしまう。「山笑う春」という言葉があるが、名付けた人は、おそらくそんな照れくさい自分の感情を山にあてがったのではないかと思う。「ようし、俺もやるか!」やる気がドンドン漲ってくる。夏の森に入ると、「優しさ」を感じる。過熱気味の心と体を、涼しさと静けさが優しく癒してくれる。私はまるで甘えん坊の子供になってしまう。私が度々一人で森に入るのは、実は「よく頑張ってるね」と、内緒で頭(心)を撫でてもらいたいからなのである。
紅葉の森は、「切なさ」と「反省」と「存在感」。私は紅葉も新緑も、朝と夕方、太陽の方向に車を走らせ、きれいなところで車を降りて、ぼーっと逆光に透かし出された輝きを眺めているのが好きだ。パラパラの終わりかけでもすごく感じるものがある。優雅さを演じ散り行く壮大なドラマを見ていると、うまく表現できないけれど、例えば、・・・
今一歳半の実すめ娘(ゆふみ)が、仕事に向かう私を見送ってくれない。「いってきます」と言うと、とたんに横を向いて悲しい顔をするのである。そんな彼女の切なさと似ているのかなと思う。そして紅葉の森は、反省もさせられる。自分の自然(正直/素直)じゃなかった部分が嫌らしく思い出されるのである。でも「大丈夫、また会えるよ」と言っているような気もする。真っ白な冬は、「厳しさ」。
もう、森にやすやすと入れてもらえない。(たまらず入っていく人もいるが・・・) もう頼れない。甘えられない。自分で考える時。しかし、森の入口に仕事場を構える私はすぐ後ろにいつも居てくれる安心感がある。そして、何より独り占めしているようで誇らしい。32才の私の、四季ごとの森の感じ方は、大きく分けてこんな感じがある。しかし、実際にはその時の天候や自分の状態で、いろんな感じ方をしている。優しい夏の森も嵐が来れば恐ろしいし、真冬だってすごく優しく感じるときもある。自分らしくない生き方をしている時には、怒られているような気がする。最近、森は何だか自分を映し出すところじゃないかと思う。自分に素直になれるところ。森には行っていい気後の時は、すごく自分らしく生きているなと確認できる。自分も自然の一部になっているのかなと感じる。そしてなにより、ほっとする。いつまでも自然に生きたい。自然でありたい。
(平成8年8月31日発行ビーズファーム通信より